
厚生労働省の「平成27年度個別労働紛争解決制度の施行状況(平成28年6月8日公表)」によれば、全国の都道府県労働局等に設置された総合労働相談センターに寄せられた相談内容のトップは4年連続でパワハラ等による「いじめ・嫌がらせ」だった。本統計はあくまで氷山の一角に過ぎず、顕在化しないものを考慮すると、かなり深刻だと思われる。
一方、偶然かわからないが、最近筆者のもとに社員のモチベーションに関する相談が持ち込まれることが多い。あくまで私見に過ぎないが、先の統計と関連して、社員の士気が落ち込んでいるのではないかと推察される。そこで今回は、社員のモチベーションアップを考えてみたい。
一方、偶然かわからないが、最近筆者のもとに社員のモチベーションに関する相談が持ち込まれることが多い。あくまで私見に過ぎないが、先の統計と関連して、社員の士気が落ち込んでいるのではないかと推察される。そこで今回は、社員のモチベーションアップを考えてみたい。
モチベーションが持つ効用
モチベーション(=motivation)は一般的に「動機づけ」や「物事に取り組む上での意欲ややる気」とされる。誰しも社員のモチベーション向上が重要である点に異論はないだろう。現に社員のモチベーションが高い企業は好業績であるとの調査研究(2008年・中堅・中小企業の社員のモチベーションを高める方策等に関する調査研究委員会。以下「調査委員会」)が出されており、調査委員会主査である坂本光司氏によれば、社員のモチベーションレベルと企業の業績レベルや、離職率が極めて低い点には明らかな相関関係があると指摘している。とはいえ、なおモチベーションに関する相談が多いという現実は、重要だと認識しながら多くの企業がどのように取り組むべきか暗中模索しているという表れなのかもしれない。
モチベーションの落とし穴
さて、筆者は社員のモチベーションは“あげさせる”ものではないと考えている。むしろ様々な環境要因によって勝手に“あがっていく”ものだと考えるからだ。だから暗中模索状態のなかで恐ろしいのは「モチベーションアップは企業に好業績をもたらす」という言葉だけが独り歩きし、モチベーションを向上させようと誤った手法を展開する会社が存在することだ。いわゆる力技である。精神論を持ち出し、過剰なノルマを課して発破をかける。あるいは単なる数値目標(売上や利益率等)を取り出し達成させようとする。かつてはある意味有効だったかもしれない。それは日本的経営の特徴とされた三種の神器(①終身雇用慣行、②年功的賃金、③企業別組合)が見返りとして機能したからだ。しかし三種の神器が欠けた現代にあって、このような手法では社員(特に若手社員)は動かない。むしろ逆効果である。
なぜなら、なぜこの目標を達成しなければならないのか。更にはその前提として、何のために自社の事業が存在するのかという点、すなわち自社内で共有すべき共通の価値観(ものさし)が抜け落ちているからだ。“なぜ”・“何のため”という共通言語が組織にないからコミュニケーション不足が生じる。過剰なノルマや単なる数値目標は利益至上主義に陥り、数字さえ達成できれば違法行為さえいとわない、何をやってもよいという風潮を組織にもたらす。その行き着く先は疲弊である。最初はやる気に満ち溢れて入社した社員が年々やる気を失っていくのはこのためだと言えよう。この“なぜ”・“何のため”という定義づけの重要性は、経営学の父として有名なドラッカーが『マネジメント』中で説いていることである。
なぜなら、なぜこの目標を達成しなければならないのか。更にはその前提として、何のために自社の事業が存在するのかという点、すなわち自社内で共有すべき共通の価値観(ものさし)が抜け落ちているからだ。“なぜ”・“何のため”という共通言語が組織にないからコミュニケーション不足が生じる。過剰なノルマや単なる数値目標は利益至上主義に陥り、数字さえ達成できれば違法行為さえいとわない、何をやってもよいという風潮を組織にもたらす。その行き着く先は疲弊である。最初はやる気に満ち溢れて入社した社員が年々やる気を失っていくのはこのためだと言えよう。この“なぜ”・“何のため”という定義づけの重要性は、経営学の父として有名なドラッカーが『マネジメント』中で説いていることである。
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