いざとなれば「攻めの経営」を
さて、現代でも昌幸のように、攻めの経営に転じた中小企業がある。広島県の地方都市で1983年に設立され、LED(発光ダイオード)部品などを製造し、大企業の下請けで国内外の高級車の内装部品を製造していた企業だ。従業員は200人ほどで、一時は年商10億円を超えるまでの業績だったのが、リーマンショックや不景気の影響を受けて、いきなり1年後に受注を停止すると宣告されたのだ。利益の8割以上を占めていた受注がなくなることは、その企業の廃業を意味する。実際に、工場は閉鎖寸前に陥り、従業員のリストラもやむなしといった状況となった。
しかし、その中小企業の社長は「今、私がリストラをすれば、中小企業の悪い例をつくることになってしまう。もし、そんなことが続けば、日本がダメになるのではないか」という強い信念を持ち、リストラをすることなく大企業に対抗する措置を考えた。それが、あるエンジニアからの提案でなされた自社ブランドのスピーカー開発だった。下請け企業とはいえ、世界の自動車メーカーなどに部品を供給していた技術力に社員も自信を持っていたのだ。それこそが、攻めの経営に転じることができた要因だった。結果、わずか2年で自社ブランドのスピーカーを開発して、グッドデザイン賞、オーディオビジュアルグランプリ金賞、オーディオ銘機賞などを受賞。地方のいち下請け企業が、開発型企業に生まれ変わったのだ。
しかし、その中小企業の社長は「今、私がリストラをすれば、中小企業の悪い例をつくることになってしまう。もし、そんなことが続けば、日本がダメになるのではないか」という強い信念を持ち、リストラをすることなく大企業に対抗する措置を考えた。それが、あるエンジニアからの提案でなされた自社ブランドのスピーカー開発だった。下請け企業とはいえ、世界の自動車メーカーなどに部品を供給していた技術力に社員も自信を持っていたのだ。それこそが、攻めの経営に転じることができた要因だった。結果、わずか2年で自社ブランドのスピーカーを開発して、グッドデザイン賞、オーディオビジュアルグランプリ金賞、オーディオ銘機賞などを受賞。地方のいち下請け企業が、開発型企業に生まれ変わったのだ。
真田昌幸が上田という地の利をいかして徳川の大軍を打ち破ったように、中小企業にも大企業に対抗するだけの技術力や開発力があれば、傘下に入って庇護を受けるだけの経営に頼る必要はない。NHKの大河ドラマ『真田丸』をそんな視点から楽しんでみるのもいいだろう。
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