
コクヨの創業は1905年。今では文具やオフィス家具だけでなく、オフィス全体のレイアウトまで手掛ける同社だが、スタートは和式帳簿──、いわゆる大黒帳だった。それも問屋から表紙の製造だけを請け負うというもので、決して儲かる仕事ではなかった。
しかし、黒田氏は「人の役に立つ仕事をしていれば必ず受け入れられる」という信念で仕事に打ち込み、次第に黒田の表紙でなければという評判を取るようになっていく。ちなみに、コクヨはもともと「国誉」──、国の誉れと書いた。ここにも黒田氏の気概が感じられる。
その後、表紙だけではなく帳簿全体を、さらには洋式帳簿や伝票、便箋などを手掛けるようになり、紙製品の総合メーカーとして成長していくことになる。
掲出の言葉の後は「天職には貴賤の別はない。人間はこの世にある限り、自らの全力を尽くして天職をまっとうしなければならない。そのためには人の信を得ることがもっとも大切なことである」と続く。帳簿の表紙作りを天職と考え、けっしていい加減なものは作らなかった──そんな黒田氏の姿勢が周囲の信頼を得て、発展へと繋がっていったのだ。
ほかに「商売の利潤というものは、追究するものではない。利潤は、その事業が社会に貢献することによって、社会から与えられる報酬である」という言葉も残している。
しかし、黒田氏は「人の役に立つ仕事をしていれば必ず受け入れられる」という信念で仕事に打ち込み、次第に黒田の表紙でなければという評判を取るようになっていく。ちなみに、コクヨはもともと「国誉」──、国の誉れと書いた。ここにも黒田氏の気概が感じられる。
その後、表紙だけではなく帳簿全体を、さらには洋式帳簿や伝票、便箋などを手掛けるようになり、紙製品の総合メーカーとして成長していくことになる。
掲出の言葉の後は「天職には貴賤の別はない。人間はこの世にある限り、自らの全力を尽くして天職をまっとうしなければならない。そのためには人の信を得ることがもっとも大切なことである」と続く。帳簿の表紙作りを天職と考え、けっしていい加減なものは作らなかった──そんな黒田氏の姿勢が周囲の信頼を得て、発展へと繋がっていったのだ。
ほかに「商売の利潤というものは、追究するものではない。利潤は、その事業が社会に貢献することによって、社会から与えられる報酬である」という言葉も残している。
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