
日本の戦略コンサルティングビジネスの草分けであり、マッキンゼー・アンド・カンパニー日本代表として同社を大きく飛躍させた大前研一氏。東京都知事選、参議院選挙での敗北などを経て教育関連事業会社ビジネス・ブレークスルーを設立、後にビジネス・ブレークスルー大学院大学を開校。いまでも、おそらく日本で最も有名な経営コンサルタントとして活躍している。
大前氏の名前を一躍有名にしたのは、マッキンゼー時代に出版した「企業参謀」である。この本を出版したのは大前氏が32歳の時。コンサルティングの際に書き留めたメモをもとに書かれたものだ。
30歳そこそこの大前氏がマッキンゼーに入った頃は業界の認知度も低く、月額2500万円ものコンサルティング・フィーを差し出しても、ほとんど相手にされなかったという。それが、この本の出版を機に、企業側からコンサルティングの依頼が大前氏指名でどんどん舞い込むようになったという。
大前氏は、マッキンゼー時代から著名な経営者に数多く出会い、実際にそういう人たちと一緒に仕事をしている。松下幸之助、盛田昭夫、立石一真、川上源一といった錚々たる顔ぶれが並ぶ。
そんな大前氏が、2015年4月に行われた「MFクラウドExpo 2015」というセミナーで、質問者に答えた言葉がある。
「起業家を育てるときに、意識していること。成功していく人と、そうでない人の違い」という質問に対して、
「特にうまくいく人って、失敗を2、3回してます。つまり最初からピューってうまくいっちゃうってのは、あんまりないと思いますね。ですからマッキンゼーにいた南場智子なんかも『不格好経営』とかいうのに書いてますけど、やっぱり不格好ですよ。」
「ですから今、非常に調子のいいようなスピードでもって伸びてるようなところも、人生をずっと辿ってみると、失敗やみんなに見放されたという経験を何回もしてると思います。だから積極的にそういうふうなことをして、それを糧に成長するということです。」
多くの企業をコンサルティングし、多くの経営者を見てきた大前氏の言葉が胸に響く。成功していくために必要なのは、究極的に言えば、戦略ではなく、度重なる失敗から学び、成功するまでやり抜く気概なのかもしれない。
大前氏の名前を一躍有名にしたのは、マッキンゼー時代に出版した「企業参謀」である。この本を出版したのは大前氏が32歳の時。コンサルティングの際に書き留めたメモをもとに書かれたものだ。
30歳そこそこの大前氏がマッキンゼーに入った頃は業界の認知度も低く、月額2500万円ものコンサルティング・フィーを差し出しても、ほとんど相手にされなかったという。それが、この本の出版を機に、企業側からコンサルティングの依頼が大前氏指名でどんどん舞い込むようになったという。
大前氏は、マッキンゼー時代から著名な経営者に数多く出会い、実際にそういう人たちと一緒に仕事をしている。松下幸之助、盛田昭夫、立石一真、川上源一といった錚々たる顔ぶれが並ぶ。
そんな大前氏が、2015年4月に行われた「MFクラウドExpo 2015」というセミナーで、質問者に答えた言葉がある。
「起業家を育てるときに、意識していること。成功していく人と、そうでない人の違い」という質問に対して、
「特にうまくいく人って、失敗を2、3回してます。つまり最初からピューってうまくいっちゃうってのは、あんまりないと思いますね。ですからマッキンゼーにいた南場智子なんかも『不格好経営』とかいうのに書いてますけど、やっぱり不格好ですよ。」
「ですから今、非常に調子のいいようなスピードでもって伸びてるようなところも、人生をずっと辿ってみると、失敗やみんなに見放されたという経験を何回もしてると思います。だから積極的にそういうふうなことをして、それを糧に成長するということです。」
多くの企業をコンサルティングし、多くの経営者を見てきた大前氏の言葉が胸に響く。成功していくために必要なのは、究極的に言えば、戦略ではなく、度重なる失敗から学び、成功するまでやり抜く気概なのかもしれない。
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