
平岩氏は、1914年、愛知県生まれ。6歳で父親を亡くし、母親に育てられる。旧制第八高等学校から東京帝国大学(現・東京大学)法学部に入学。反対する一族を母親が押し切っての大学進学だったという。大学卒業後、東京電灯(現・東京電力)に入社した。
しかし、召集されて陸軍へ入隊。南方戦線へ配属され、ニューギニアで、107名いた部隊が7名にまで減るという地獄のような体験をした。戦後は会社に復職し、常務、副社長を経て、1976年に社長に就任した。そのほか、電気事業連合会会長、国家公安委員会委員、経済審議会会長、産業構造審議会会長、経団連会長なども務めた。
掲出は、経団連会長を辞任するに当たって、決断の難しさと、経営者としての理念を語った際の言葉。何かを決定すると、それに賛成する人もいれば反対する人もいる。人それぞれの意見があることはそれに認めつつ、それらに惑わされないこともリーダーの要件だ。
掲出は、経団連会長を辞任するに当たって、決断の難しさと、経営者としての理念を語った際の言葉。何かを決定すると、それに賛成する人もいれば反対する人もいる。人それぞれの意見があることはそれに認めつつ、それらに惑わされないこともリーダーの要件だ。
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