
菊地氏は、1912年、宮城県仙台市生まれ。東京帝国大学(現・東京大学)経済学部を卒業後、日本郵船に入社。取締役営業部長、常務取締役、取締役副社長など を歴任。1971年社長就任を経て、78年会長となった。
社長就任後は保有タンカーを削減する一方で仕組船(外国のコストの安い船を使うこと)を増やすという合理化によって海運不況を乗り切った。また、航空貨物や電力用炭の輸送へと進出を果たした。 これは「菊地商法」と呼ばれ、不況時の見本的な経営方法とされた。
当時、仕組船はまっとうな船会社がやることではないと思われていた。また、海運業者の航空貨物輸送進出も非常識とみなされていた。それほど思い切った経営転換を行ったのである。
掲出は、1987年の会長時代に「先行きが不透明な時代なのだから、過去の価値観にとらわれない若い人に任せよ」との経営哲学を語ったもの。程度の差こそあれ、現代のビジネス社会も先行きは不透明。若者にこそ活躍の場を与えるべきだろう。
当時、仕組船はまっとうな船会社がやることではないと思われていた。また、海運業者の航空貨物輸送進出も非常識とみなされていた。それほど思い切った経営転換を行ったのである。
掲出は、1987年の会長時代に「先行きが不透明な時代なのだから、過去の価値観にとらわれない若い人に任せよ」との経営哲学を語ったもの。程度の差こそあれ、現代のビジネス社会も先行きは不透明。若者にこそ活躍の場を与えるべきだろう。
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