
川上氏は、1912年、静岡県浜松市生まれ。1937年、父が社長を務める日本楽器製造(現・ヤマハ)に入社する。1950年に社長に就任。同社を世界的な楽器メーカーに育てるとともに、ヤマハ音楽教室を全国に開設し音楽教育にも力を入れた。
その一方でヤマハ発動機を設立し、社長を兼務、オートバイ製造事業にも進出した。同社ではスポーツ用品やリゾート事業も手掛けた。社長兼務は1955年から実に19年間に及んだ。
掲出は、「常に自分の事業の姿がどうならなければならないか、という見通しを持っていなければ的確な意思決定はできない」という社長としての経営哲学を語った時の言葉。
動きの早い現代のビジネス社会では、経営トップに限らず、意思決定にゆっくり時間をかけてはいられない。しかし、単に早ければいいというものではない。会社の将来を常に考えていればこそ、急場でも的確な意思決定を行えるのだ。
掲出は、「常に自分の事業の姿がどうならなければならないか、という見通しを持っていなければ的確な意思決定はできない」という社長としての経営哲学を語った時の言葉。
動きの早い現代のビジネス社会では、経営トップに限らず、意思決定にゆっくり時間をかけてはいられない。しかし、単に早ければいいというものではない。会社の将来を常に考えていればこそ、急場でも的確な意思決定を行えるのだ。
お気に入りに登録