
高畑氏は、1887年、愛媛県生まれ。生家は古い家系で高畑氏が14代目。神戸高等商業学校(現・神戸大学)を卒業後、鈴木商店に入社。1912年にロンドン支店勤務となる。
当時の鈴木商店は小さな貿易商だったが、高畑氏は第一次世界大戦前夜のヨーロッパで幾度となく大きな取引を成功させた。また、日本人として初めて本国を介さない三国間貿易を手がけ、同社の成長に大きく貢献した。それらの功績が認められ、29歳の若さでロンドン支店長に就任。急成長を遂げて巨大コンツェルンになった鈴木商店は、「スエズ運河を通る船の10隻に1隻は鈴木商店のチャーター船」と言われるほどになった。
ところが、大恐慌により、あっけなく倒産してしまう。そこで1928年、高畑氏は鈴木商店の子会社だった日本商業会社を、日商株式会社と改めて再出発を図る。そして同社を日本屈指の総合商社に育て上げた。
掲出は、高畑氏がモットーとしていた言葉。ここには鈴木商店の借金経営、無制限拡大経営政策への反省の念が込められている。
現代のビジネス社会では、とかくスピードが重視される。しかし、スピードだけでは時に誤認や判断ミスが生じやすい。堅実にコツコツいこうとすれば、焦らずに済む分、最低限のスピードも確保できるだろう。
ところが、大恐慌により、あっけなく倒産してしまう。そこで1928年、高畑氏は鈴木商店の子会社だった日本商業会社を、日商株式会社と改めて再出発を図る。そして同社を日本屈指の総合商社に育て上げた。
掲出は、高畑氏がモットーとしていた言葉。ここには鈴木商店の借金経営、無制限拡大経営政策への反省の念が込められている。
現代のビジネス社会では、とかくスピードが重視される。しかし、スピードだけでは時に誤認や判断ミスが生じやすい。堅実にコツコツいこうとすれば、焦らずに済む分、最低限のスピードも確保できるだろう。
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