
江尻氏は、1920年、神奈川県横浜市生まれ。東京帝国大学法学部に入学。中学時代から柔道部に所属し、高校、大学とキャプテンを務めた。1943年に、戦時下の特例で大学を繰り上げ卒業すると、父親と同じ三井物産に入社。入社後は主に鉄鋼畑を歩み、豪州三井物産社長、取締役、常務、専務、業務本部長兼副社長を経て、1985年社長に就任した。
社長就任後、三井物産マニラ支店長誘拐事件に遭遇。一方では、長年の懸案であったイラン・ジャパン石油化学(IJPC)事業の清算金をイラン政府に支払うことで合意し、解決に導いた。
掲出は、江尻氏が社内にずっと訴え続けてきた社訓とも言える、会社と従業員のあるべき姿を説いた言葉だ。
ビジネスマンは当然、商品そのものの知識がなければならないが、会社全体が考えている方向も十分理解した上で開発や営業を行う必要がある。これは、消費者のことを知らなければ商売は育たないとも言い換えられるだろう。顧客のニーズに応え、ビジネスを創造することを重視した言葉だ。
掲出は、江尻氏が社内にずっと訴え続けてきた社訓とも言える、会社と従業員のあるべき姿を説いた言葉だ。
ビジネスマンは当然、商品そのものの知識がなければならないが、会社全体が考えている方向も十分理解した上で開発や営業を行う必要がある。これは、消費者のことを知らなければ商売は育たないとも言い換えられるだろう。顧客のニーズに応え、ビジネスを創造することを重視した言葉だ。
お気に入りに登録