
村田氏は、1921年、京都府京都市生まれ。京都市立第一商業学校(現・京都市立西京高等学校)を病気で中退したことから、家業の陶器店を手伝うことに。特殊陶器、精密特殊磁器の製品化で事業を拡大し、1944年に村田製作所を創業した。
1950年、京都大学の田中哲郎氏の協力を得て、酸化チタンコンデンサの開発に成功。その後、セラミック半導体、通信機用フィルタを次々に開発し、同社をチタンコンデンサの主力メーカーに育て上げた。
1960年代には他に先駆け、米ゼネラル・モーターズから受注するなど、海外へ進出。1973年には日本の電子部品メーカーで初めて、アメリカ合衆国内に工場を設けた。
掲出は、「同業者の仕事を奪うな」との父の教えを守り抜いたことを振り返っての発言。
独自の製品であれば、同業者の仕事を奪うこともないし、価格競争にさらされることもない。当然、貿易摩擦も起こらない。他社と比較してあくせくするより、自社にしか歩めない道を歩めば、それが強みとなり、誇りとなっていく。
1960年代には他に先駆け、米ゼネラル・モーターズから受注するなど、海外へ進出。1973年には日本の電子部品メーカーで初めて、アメリカ合衆国内に工場を設けた。
掲出は、「同業者の仕事を奪うな」との父の教えを守り抜いたことを振り返っての発言。
独自の製品であれば、同業者の仕事を奪うこともないし、価格競争にさらされることもない。当然、貿易摩擦も起こらない。他社と比較してあくせくするより、自社にしか歩めない道を歩めば、それが強みとなり、誇りとなっていく。
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