
髙橋氏は1928年生まれ。慶應義塾大学経済学部へ入学。在学中は応援団長を務め、団の制服を学ランからセーターに変えたり、早慶戦前夜祭を創設したりなどの足跡を残した。卒業し、1951年、鐘淵紡績に入社。
1959年に父親が創業した日本ミネチュアベアリング(現・ミネベアミツミ)に取締役として入社。1966年に社長へ就任すると、企業買収を積極的に行い、従業員数十人だった同社を上場企業にまで育て上げた。日本におけるM&Aの先駆者とされる。
掲出は、日韓産業セミナーで自身の経営観を語った言葉。「鉄屑屋の息子」という自らの生い立ちにコンプレックスを抱えていたと言われる同氏らしさが滲み出ている。
製品作りに知識は当然必要だ。学問をおろそかにしてはならない。しかし、理論通りに行くとは限らないし、市場が何を求めるかも考えなくてはならない。高度の柔軟性と、想定外のアイデアを生み出す発想力は、机の上ではなく、日々の生活の中で磨かれるもの。優れた製品にはそれを生み出した人々の、総合的な“人間力”が投影されている。
掲出は、日韓産業セミナーで自身の経営観を語った言葉。「鉄屑屋の息子」という自らの生い立ちにコンプレックスを抱えていたと言われる同氏らしさが滲み出ている。
製品作りに知識は当然必要だ。学問をおろそかにしてはならない。しかし、理論通りに行くとは限らないし、市場が何を求めるかも考えなくてはならない。高度の柔軟性と、想定外のアイデアを生み出す発想力は、机の上ではなく、日々の生活の中で磨かれるもの。優れた製品にはそれを生み出した人々の、総合的な“人間力”が投影されている。
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