
長谷川氏は、1924年、名古屋市生まれ。1941年、海軍兵学校に入校。終戦間際の1945年、陸上爆撃機・銀河に搭乗し沖縄のアメリカ艦隊に向けて特攻。撃墜されてアメリカの駆逐艦・キャラハンに救助された。キャラハンは後に別の特攻機によって撃沈されたが、乗組員と長谷川氏との交流は戦後も続いたという。
終戦後は1952年に学習院大学を卒業し、段ボールメーカーの聯合紙器(現・レンゴー)に入社。1984年に社長に就任した。
掲出は、若い人に歴史を勉強するように訴え、その中から日本人としての真摯な反省と毅然とした誇りが戻ってくる、と説いた言葉の一部。
日本企業が世界で活躍するためには、日本人としての誇りがその武器となる。人は歴史に拠って立つ。企業とて同じだ。自分や自分の勤める企業が、どこからきて、今どこにいるのか、そしてどこへ向かおうとしているのかを、きっちりと把握することが、仕事への意欲、延いては業績にもつながる。
終戦後は1952年に学習院大学を卒業し、段ボールメーカーの聯合紙器(現・レンゴー)に入社。1984年に社長に就任した。
掲出は、若い人に歴史を勉強するように訴え、その中から日本人としての真摯な反省と毅然とした誇りが戻ってくる、と説いた言葉の一部。
日本企業が世界で活躍するためには、日本人としての誇りがその武器となる。人は歴史に拠って立つ。企業とて同じだ。自分や自分の勤める企業が、どこからきて、今どこにいるのか、そしてどこへ向かおうとしているのかを、きっちりと把握することが、仕事への意欲、延いては業績にもつながる。
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