
伊藤氏は、1890年、山形県鶴岡市生まれ。東京帝国大学(現・東京大学)法科大学経済学科を卒業後、三菱合資に入社。1918年、三菱鉱山(現・三菱マテリアル)設立に伴い、同社に転じた。
その後、明延鉱山勤務、尾去沢鉱山勤務、本社労働部副長、調査部長、海外部長、日本アルミニウム専務などを経て、1946年、三菱鉱山社長に就任。翌年、GHQによる公職追放措置を受ける。解除後、鉱山経営者連盟専務理事、日本精鉱社長を経て、1955年、三菱鉱業社長に復帰した。三菱セメント社長、東北開発総裁などを務めたほか、日本石炭協会会長、日経連常任理事、炭鉱離職者援護会理事長なども歴任した。
掲出は、1936年に秋田県尾去沢鉱山で発生したダム決壊事故に関する言葉。三菱鉱業が経営する尾去沢鉱山で、鉱石の精錬後に出る泥を貯めておくダムが決壊し、下流の坑夫長屋を直撃、多数の死者を出した。
大規模な開発がなされると、景色は大きく変わる。まるで人間が自然を支配しているとの錯覚を覚えることだろう。しかし、自然、延いては宇宙の力をけっして侮ってはいけない。人間には自然が必要であっても、自然に人間は必要ないのだ。あくまでも自然は人間の力の及ばないところにある、という考えの下、謙虚さと感謝の気持ちを忘れてはならない。
その後、明延鉱山勤務、尾去沢鉱山勤務、本社労働部副長、調査部長、海外部長、日本アルミニウム専務などを経て、1946年、三菱鉱山社長に就任。翌年、GHQによる公職追放措置を受ける。解除後、鉱山経営者連盟専務理事、日本精鉱社長を経て、1955年、三菱鉱業社長に復帰した。三菱セメント社長、東北開発総裁などを務めたほか、日本石炭協会会長、日経連常任理事、炭鉱離職者援護会理事長なども歴任した。
掲出は、1936年に秋田県尾去沢鉱山で発生したダム決壊事故に関する言葉。三菱鉱業が経営する尾去沢鉱山で、鉱石の精錬後に出る泥を貯めておくダムが決壊し、下流の坑夫長屋を直撃、多数の死者を出した。
大規模な開発がなされると、景色は大きく変わる。まるで人間が自然を支配しているとの錯覚を覚えることだろう。しかし、自然、延いては宇宙の力をけっして侮ってはいけない。人間には自然が必要であっても、自然に人間は必要ないのだ。あくまでも自然は人間の力の及ばないところにある、という考えの下、謙虚さと感謝の気持ちを忘れてはならない。
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