
松沢氏は、1913年、東京日本橋生まれ。東京帝国大学(現・東京大学)法学部法律学科を卒業後、安田銀行(現・みずほ銀行)に入行。しかしほどなくして召集され、満州に渡る。幹部候補生学校を経て少尉に任官されるが、実戦に出ることなく、1942年に除隊、安田銀行に復帰した。
戦後、業務部業務課に異動すると、GHQを担当。この間、安田銀行は富士銀行へと名称を変えている。その後、松沢氏は、1959年初代総務部長、1961年取締役、1963年常務を経て、1975年に頭取に就任した。
掲出は、富士銀行頭取時代の言葉。経営者になるまでは時としてなりふり構わず猪突猛進することも必要だが、いざトップになったらより冷静で客観的な判断が必要である、と経営者の心構えを説いたものだ。
トップが自分の得意なことばかりを先行して行うと、経営のバランスが崩れ、会社の成長を阻害する。全社的バランスのとれた戦略実行のためには、視野を広く持ち、何事においても公平な目で見るようにしなくてはならない。
戦後、業務部業務課に異動すると、GHQを担当。この間、安田銀行は富士銀行へと名称を変えている。その後、松沢氏は、1959年初代総務部長、1961年取締役、1963年常務を経て、1975年に頭取に就任した。
掲出は、富士銀行頭取時代の言葉。経営者になるまでは時としてなりふり構わず猪突猛進することも必要だが、いざトップになったらより冷静で客観的な判断が必要である、と経営者の心構えを説いたものだ。
トップが自分の得意なことばかりを先行して行うと、経営のバランスが崩れ、会社の成長を阻害する。全社的バランスのとれた戦略実行のためには、視野を広く持ち、何事においても公平な目で見るようにしなくてはならない。
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