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経営者のあの一言

「私たちは需要があるから開発するというのではなく、新しい技術があれば市場が作り出せると考える。俊雄は「必要は発明の母」ならぬ「発明は必要の母」とよく言っていた。」カシオ計算機 元社長 樫尾忠雄

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樫尾氏はカシオ計算機を創業した「樫尾4兄弟」の長兄。1917年、高知県長岡郡久礼田村(現・南国市)生まれ。5歳の頃、叔父の誘いにより一家で上京。やがて小学校を卒業した樫尾氏は家計を助けるため、見習いの旋盤工として働き始めると、腕の良さが認められ、早稲田工手学校(現・早稲田大学)に通うことになる。

1946年、東京都三鷹市に樫尾製作所を創業。すぐに弟の俊雄氏が、しばらくして同じく弟の和雄氏と幸雄氏が加わり、電気式計算機の開発を開始。1957年に商品化に成功し、同じ年にカシオ計算機を設立した。1972年、世界初のパーソナル電卓「カシオミニ」を発売。当時としては革命的な1万円台の価格が好評を博し、大ヒット商品となった。

掲出は、電卓、時計に続き、楽器市場に進出した理由を「いずれもエレクトロニクスという“根”でつながっている」という話の中で語られた言葉。なお、「俊雄」とは弟の俊雄氏のことだ。

是非とも必要と求められていたわけではないが、今までにない商品の登場によって、生活や仕事が劇的に変わることがある。その代表例が、スマートフォンだ。言わば“新たな必要”を生み出すような商品を世に送り出すことができれば、当然ながら、会社は大きく伸長するだろう。

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経営者・事業部門責任者から部長・課長・リーダー層まで、経営の根幹を支える人たちの成長を支援するパートナーメディアを目指します。日々の業務に役立つニュースや小ネタ、組織強化や経営理論まで幅広く学べる記事を提供します。

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