
萩原氏は、1902年、埼玉県蕨市生まれ。慶應義塾大学経済学部を卒業後、三井合名に入社。1940年、後に北海道炭礦汽船(北炭)会長となった島田勝之助氏に誘われて北海道炭礦汽船へ移る。北海道炭礦汽船は社名に「汽船」の文字があるが、一貫して石炭鉱業を展開した会社だ。
常務取締役を経て、1955年に社長へ就任。政界に知人が多く“政商”とも呼ばれた。石炭業が斜陽化すると北海道不動産を設立するなどして、観光事業に参入、札幌テレビ放送(STV)を設立し、放送業界にも参入した。
掲出は北炭秘書部長時代、労働組合との対立が激化して重役が総退陣したことを振り返りつつ、自らの経営哲学を語った言葉。
最近は「人材」に「人財」の字を当てる企業も多い。経営資源としてよくあげられるのが「ヒト」、「モノ」、「カネ」、「情報」だが、「モノ」、「カネ」、「情報」をもたらしてくれるのはすべて「ヒト」。また、ヒトは、自分を捨てて何かのために取り組む時、無限大の可能性を発揮する。そんなヒトの力を信じてこそ、経営者たり得るのである。
常務取締役を経て、1955年に社長へ就任。政界に知人が多く“政商”とも呼ばれた。石炭業が斜陽化すると北海道不動産を設立するなどして、観光事業に参入、札幌テレビ放送(STV)を設立し、放送業界にも参入した。
掲出は北炭秘書部長時代、労働組合との対立が激化して重役が総退陣したことを振り返りつつ、自らの経営哲学を語った言葉。
最近は「人材」に「人財」の字を当てる企業も多い。経営資源としてよくあげられるのが「ヒト」、「モノ」、「カネ」、「情報」だが、「モノ」、「カネ」、「情報」をもたらしてくれるのはすべて「ヒト」。また、ヒトは、自分を捨てて何かのために取り組む時、無限大の可能性を発揮する。そんなヒトの力を信じてこそ、経営者たり得るのである。
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