
田口氏は、1907年、長野県西筑摩郡読書村(現・木曽郡南木曽町)生まれ。軍隊除隊後、中古トラック1台による運送業、田口自動車を創業した。事業は拡大してゆくも、1942年、戦時陸運統制令により集約合同されてしまう。
戦後、水都産業を設立し事業を再開、1948年に西濃トラック運輸へ、1955年に西濃運輸へ社名を変えた。
この間、当時の運輸省と交渉を重ね、トラックによる長距離輸送をスタートさせた。長距離輸送には鉄道を使うのが常識とされていた当時、トラックによる長距離輸送は画期的なことだった。これにより会社は急成長を遂げ、田口氏は「トラック王」と呼ばれるようになる。
掲出は、戦後、事業を再開するに当たって、社員を鼓舞しようと語った言葉の一節。心配しないでついて来いという心意気を示したものだ。
最近では、会社存続のためには社員をリストラするのが当たり前。大規模なリストラをしたことで株価が上がることも珍しくない。しかし、企業は従業員がいてこそ存続できる。積み荷を捨てても船員の安全を守るという考えの経営者にこそ、従業員はついていくし、ひいては業績も上がってくるのではないか。
戦後、水都産業を設立し事業を再開、1948年に西濃トラック運輸へ、1955年に西濃運輸へ社名を変えた。
この間、当時の運輸省と交渉を重ね、トラックによる長距離輸送をスタートさせた。長距離輸送には鉄道を使うのが常識とされていた当時、トラックによる長距離輸送は画期的なことだった。これにより会社は急成長を遂げ、田口氏は「トラック王」と呼ばれるようになる。
掲出は、戦後、事業を再開するに当たって、社員を鼓舞しようと語った言葉の一節。心配しないでついて来いという心意気を示したものだ。
最近では、会社存続のためには社員をリストラするのが当たり前。大規模なリストラをしたことで株価が上がることも珍しくない。しかし、企業は従業員がいてこそ存続できる。積み荷を捨てても船員の安全を守るという考えの経営者にこそ、従業員はついていくし、ひいては業績も上がってくるのではないか。
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