
内藤氏は、1926年、愛知県名古屋市生まれ。父親の内藤秀次郎氏は林兼吉氏とともに林内商会(現・リンナイ)を創業した人物。
東京大学工学部で機械工学を学び、卒業後は大企業へ就職するつもりだったが、兄が戦死したことから林内商会へ後継者として入社。同社が株式会社化した1950年に副社長に就任。その後、1966年に社長、2001年に会長を歴任した。ガスの熱を赤外線に変える新技術を日本に導入し、ガスストーブやグリルつきコンロに採り入れるなど、リンナイをガス機器の国内最大手メーカーに成長させた。
掲出は手堅い経営で知られた内藤氏が自身の経営観を語った言葉。絶対に大丈夫と思える時だけゴーサインを出していたら、確かに安全だが、経営戦略に面白味がないものだ。
内藤氏は他にも「会社経営で最終責任を誰が取るかというと、経営者である私をおいて他にはいません。だからといって、リアリズムだけを押し通しているようだと、社員はついてこなくなります」とも話している。
イチかバチかの決断ばかりをしている経営者や上司では、部下はたまったものではないが、安全策ばかりでは、この人についていこうという人間的な魅力に欠ける。時には大胆さを示すことも、上に立つ者には必要だ。
東京大学工学部で機械工学を学び、卒業後は大企業へ就職するつもりだったが、兄が戦死したことから林内商会へ後継者として入社。同社が株式会社化した1950年に副社長に就任。その後、1966年に社長、2001年に会長を歴任した。ガスの熱を赤外線に変える新技術を日本に導入し、ガスストーブやグリルつきコンロに採り入れるなど、リンナイをガス機器の国内最大手メーカーに成長させた。
掲出は手堅い経営で知られた内藤氏が自身の経営観を語った言葉。絶対に大丈夫と思える時だけゴーサインを出していたら、確かに安全だが、経営戦略に面白味がないものだ。
内藤氏は他にも「会社経営で最終責任を誰が取るかというと、経営者である私をおいて他にはいません。だからといって、リアリズムだけを押し通しているようだと、社員はついてこなくなります」とも話している。
イチかバチかの決断ばかりをしている経営者や上司では、部下はたまったものではないが、安全策ばかりでは、この人についていこうという人間的な魅力に欠ける。時には大胆さを示すことも、上に立つ者には必要だ。
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