
大橋氏は、1940年、旧満州生まれ。5歳の時に終戦を経験し、両親とともに、命からがら日本に引き揚げてきた。その時のことを後に「たいていのことには耐えられると思っていましたね。あれ(引き揚げの経験)よりも辛いことなんてない」と語っている。
1960年に慶應義塾大学法学部入学、卒業後、全日空に入社した。大学時代、大橋氏は卒論のテーマに「日中貿易」を選んだ。しかし、当時は中国との貿易はほとんど行われておらず、資料がない。そこで、父親と同郷で中国通としても知られていた当時の全日空社長・岡崎嘉平太氏を訪ねた。岡崎氏の話を聞くこともさることながら、やがて大橋氏は全日空の社風に魅了される。そして入社の意思を固めると、折からの就職難で難関となっていた全日空の採用試験を見事突破。
入社後は、主に人事畑を歩き、ニューヨーク支店長、常務、副社長などを経て、2001年に社長に就任。アメリカの同時多発テロ、イラク戦争など、航空業界に次々と逆風が吹くなか、経営に携わった。
掲出の後は「一所懸命やった結果、失敗してしまうこともあります。そういった失敗の経験は無駄にはならない。失敗に耐えられることも大事ですし、失敗を恐れないから、新しく面白いアイデアも出て来る」と続く。失敗しても、気落ちせず頑張りたいものだ。その努力を見てくれている人が、きっといる。
1960年に慶應義塾大学法学部入学、卒業後、全日空に入社した。大学時代、大橋氏は卒論のテーマに「日中貿易」を選んだ。しかし、当時は中国との貿易はほとんど行われておらず、資料がない。そこで、父親と同郷で中国通としても知られていた当時の全日空社長・岡崎嘉平太氏を訪ねた。岡崎氏の話を聞くこともさることながら、やがて大橋氏は全日空の社風に魅了される。そして入社の意思を固めると、折からの就職難で難関となっていた全日空の採用試験を見事突破。
入社後は、主に人事畑を歩き、ニューヨーク支店長、常務、副社長などを経て、2001年に社長に就任。アメリカの同時多発テロ、イラク戦争など、航空業界に次々と逆風が吹くなか、経営に携わった。
掲出の後は「一所懸命やった結果、失敗してしまうこともあります。そういった失敗の経験は無駄にはならない。失敗に耐えられることも大事ですし、失敗を恐れないから、新しく面白いアイデアも出て来る」と続く。失敗しても、気落ちせず頑張りたいものだ。その努力を見てくれている人が、きっといる。
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