
三村氏は、1917年、東京生まれ。慶應義塾大学経済学部を卒業後、三菱商事に入社。戦後、財閥解体で三菱商事が解散したため他社に移るが、同社の復活により復帰。米国三菱商事社長、本社副社長を経て1980年に社長に就任した。
入社以来、一貫して水産畑を歩んだ。水産物といえば缶詰が主流だった時代に冷凍魚を扱うなど、先見性に優れた人物として知られている。
社長に就任した1980年は2度のオイルショックの影響が残る一方で、加工組立産業が躍進するなど、産業構造が急速に変化し始めていた時期。対応が遅れた三菱商事は収益力低下に悩んでいた。そんななか三村氏は自ら先頭に立ち、効率化・合理化・生産性の向上を進め、同社の発展に寄与した。
掲出は会長時代の言葉。変化の激しい現代社会で1つのビジネスを育てていくのは難しいかも知れない。しかし、だからこそ、自分が育てたと思える仕事を残せたら、これほど充実感を覚えることはないのではないだろうか。
入社以来、一貫して水産畑を歩んだ。水産物といえば缶詰が主流だった時代に冷凍魚を扱うなど、先見性に優れた人物として知られている。
社長に就任した1980年は2度のオイルショックの影響が残る一方で、加工組立産業が躍進するなど、産業構造が急速に変化し始めていた時期。対応が遅れた三菱商事は収益力低下に悩んでいた。そんななか三村氏は自ら先頭に立ち、効率化・合理化・生産性の向上を進め、同社の発展に寄与した。
掲出は会長時代の言葉。変化の激しい現代社会で1つのビジネスを育てていくのは難しいかも知れない。しかし、だからこそ、自分が育てたと思える仕事を残せたら、これほど充実感を覚えることはないのではないだろうか。
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