
松本氏は、1905年、神戸市生まれ。中学中退後、家具職人、ピアノ調律師、無線技士など、さまざまな職業を経験したのち、妻の実家である大谷商店の大阪支店を譲り受け、ラジオ商を始めた。
しかし、すぐに世界恐慌が起き、厳しい経営を強いられることになる。そんななか、松本氏はアメリカ製のダイナミックスピーカーに出会い、その音に魅了された。
スピーカーといえばダイナミックスピーカーのことを指すといっていいほど、ポピュラーな方式だが、当時の日本では生産されていなかった。この音を多くの人に聞かせたいと考えた松本氏は、1937年、福音商会電機製作所を設立、1947には株式会社に改組し、国産初のダイナミックスピーカーの開発・販売を始めた。ちなみに、福音という社名は松本氏の実家が教会だったため。また、後の社名パイオニアはこのスピーカーの商標。
当然といえば当然だが、国産初のダイナミックスピーカーの開発・販売には周囲の人たちは反対した。松本氏はそれを押し切ってチャレンジしたのだった。
掲出はそんな松本氏の言葉。企業というもの、ライバルが努力しているなかでの現状維持は後退を意味する。無鉄砲なチャレンジばかりしていても困るが、まったくしなかったら衰退する可能性は高い。リーダーには社員に自由にやらせる度量も必要だ。
しかし、すぐに世界恐慌が起き、厳しい経営を強いられることになる。そんななか、松本氏はアメリカ製のダイナミックスピーカーに出会い、その音に魅了された。
スピーカーといえばダイナミックスピーカーのことを指すといっていいほど、ポピュラーな方式だが、当時の日本では生産されていなかった。この音を多くの人に聞かせたいと考えた松本氏は、1937年、福音商会電機製作所を設立、1947には株式会社に改組し、国産初のダイナミックスピーカーの開発・販売を始めた。ちなみに、福音という社名は松本氏の実家が教会だったため。また、後の社名パイオニアはこのスピーカーの商標。
当然といえば当然だが、国産初のダイナミックスピーカーの開発・販売には周囲の人たちは反対した。松本氏はそれを押し切ってチャレンジしたのだった。
掲出はそんな松本氏の言葉。企業というもの、ライバルが努力しているなかでの現状維持は後退を意味する。無鉄砲なチャレンジばかりしていても困るが、まったくしなかったら衰退する可能性は高い。リーダーには社員に自由にやらせる度量も必要だ。
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