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経営者のあの一言

第260回  「機会は魚群と同じだ。はまったからといって網をつくろうとするのでは間に合わぬ。」三菱財閥 創業者 岩崎弥太郎

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 岩崎弥太郎は、1834年、土佐国(現・高知県安芸市)で地下浪人の子として生まれた。地下浪人とは郷士の株を売った浪人のことで、名字帯刀は許されたが、当然、俸禄はなく、農民として暮らす場合が多かった。

 弥太郎は幼いころから頭が良く、21歳の時には江戸への遊学が許された。ところが、父親が喧嘩をして投獄されたため、急ぎ帰国することに。免罪を訴えたところ、弥太郎も投獄されてしまい、さらには村を追放されてしまうことになる。

 しかし、弥太郎は挫けなかった。後に藩政改革を主導することになる吉田東洋の少林塾に入り勉学に励む。その甲斐あって土佐藩の商務組織・土佐商会の長崎留守居役に抜擢される。長崎の土佐商会が閉鎖された後は、大阪の土佐商会に移った。

 廃藩置県後は三菱商会(後の郵便汽船三菱会社)を設立して海運業に携わることに。西南戦争で大きな利益をあげるなどして、日本一の海運業者になった。その後、炭鉱、銅山、鉄道などに事業を拡げて、三菱財閥の基礎を築いた。

 身分制度が絶対だった江戸時代、地下浪人という低い身分からのし上がるのは並大抵のことではなかったはずだ。生来の頭の良さに加えて、チャンスを逃さなかったのが、その要因だろう。たとえば、明治政府が全国統一貨幣制度に乗り出した時も、いち早く情報をキャッチして各藩の藩札を大量に買い、それを政府に売ることで莫大な利益を得ている。大きなチャンスは何度もやってくるものではない。見逃さないようにしたいものだ。

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 経営プロ編集部

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経営者・事業部門責任者から部長・課長・リーダー層まで、経営の根幹を支える人たちの成長を支援するパートナーメディアを目指します。日々の業務に役立つニュースや小ネタ、組織強化や経営理論まで幅広く学べる記事を提供します。

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