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JAL再生への軌跡 ~そして新たな企業文化の創造~

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2010年1月19日、日本航空は実質経営破たんした。その後、再生に向けて茨の道を歩み始めた。あれから9年、日本航空再生への軌跡をたどる。そもそも何が破たんを招いたのか。そしてそこから何を学び、再生に向けてどのような取り組みを行ったのか。当時、日本航空のトップとして陣頭指揮を執った大西 賢氏をお招きして、経営破たんから再上場までの経緯や、実際に行われたさまざまな取り組み、そして新たな企業文化を創造するためのビジョンなどを語っていただいた。

「会社更生法の申請~再上場」までの経緯

日本航空は、2010年1月19日に東京地裁に会社更生法の適用を申請し、東京地裁が更生手続の開始を決定しました。それから2年8カ月後の2012年9月19日、東証1部に再上場。これは当時、極めて早いタイミングでの再上場でした。

私は経営破たん直後の2010年2月1日に社長に就任。それまでは経営からは離れたポジションにおりましたし、ましてや破たんした会社ですから、どこから手をつけたらよいのか分からない、それが正直な心境でした。頭を駆け巡っていたのは、債権放棄のことだけ。その規模は当時、5,000億円以上になるだろうと予測されていました。

株主の方は一時44万人いらっしゃいましたが、その株券もただの紙切れになってしまいました。さらには多くのお客様やお取引先様にご迷惑、ご心配をおかけしました。そういった状況で私が唯一到達したのは、日本航空を蘇らせるということではなく、過去とはまったく異なる、新しい日本航空を創るということ。こうして「過去からの決別」という言葉を社内外に発信してのスタートでした。

何が破たんを招いたのか

9年前、日本航空は実質破たんし、当時の京セラ名誉会長で、KDDI最高顧問である稲盛和夫氏に会長としてお越しいただき、その絶大なるご指導のもとで再生の道を歩むことになりました。

稲盛会長の最初のご指示は、現場を見せてほしいということと、そして何が破たんを招いたのかを自分で考えなさいということでした。当時メディアは破たんの要因として、リーマンショックなどの外的要因、政治に左右されやすい体質、組合問題の複雑さ、派閥争いなどを挙げていましたが、稲盛会長は決してそうではない、もっと本質的な問題が社内に存在していて、その結果日本航空は内側から崩壊したのだ、だからその問題を解決しない限り、絶対次の一歩には進めないはずだとおっしゃいました。そこから、何が経営破たんを招いたのかを考えました。その際の分析結果をご紹介します。

まず企業文化においては、公共交通機関としての使命を最優先してきたこと、永続的な経済成長を前提とした経営、政府出資の「国策航空会社」として設立された背景などが挙げられます。そしてこれらは、採算意識の不足、拡大主義、イベントリスク耐性の欠如、財務的な経営規律の欠如、硬直化した組織などに繋がりました。さらに環境的要素においては、限定的な競争環境、首都圏空港発着枠の慢性的な不足、国際線旅客の急減などが挙げられます。これらは、人件費を始めとする高コスト構造、経年機・大型機大量保有、資金繰りの急激な悪化などに繋がりました。これらが破たんした主な要因です。



この後も、再生に向けた取り組みや再生できた理由など、破たんから再生への軌跡をお話しいただいています。レポートはまだまだ続きます!


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