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渋沢栄一の「士魂商才」 ビジネスリーダーなら知っておきたい「日本資本主義の父」の肖像

第32話:内閣との大喧嘩で大蔵省を辞職。サラリーマンより武士としての矜持を示す

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渋沢・井上の辞職は新聞にも報じられる

ところが、その間にまた一波乱が起こった。井上は建議書を政府に差し出した後、栄一の意見に従ってこの論文を新聞に投書するつもりでいた。投書は予定通りおこなわれ、筆者個人も『新聞集成 明治編年史』第2巻により、『新聞雑誌』の付録第98号に建議書が全文掲載されたのを確認することができた。

同様に『日要新聞』第75号、『日新真実誌』5月9日号、横浜で発行されている外字新聞(外国語の新聞)にも建議書は掲載された、と『世外井上公伝』一にあるが、外字新聞でも報道されたことは、スコットランド人ジョン・レディ・ブラックが明治9年(1876)から翌年までの間に書いた『ヤング・ジャパン』の記述からも裏付けられる。

ブラックは文久元年(1861)ごろ来日し、イギリス人ハンサードが横浜で発行していた『ジャパン・ヘラルド』に迎えられて新聞記者として出発。その後独立して日刊紙『ジャパン・ガゼット』や『ファー・イースト』を刊行し、明治五年には前述の邦字紙『日新真実誌』をも創刊した(『ヤング・ジャパン』1、ねず・まさし「解説」)。

『ヤング・ジャパン』はブラックが関与して作成した新聞記事を寄せ集めて作られた二冊本(訳書は3冊本)だが、「第三十七章(一八七三年)」(訳書3所収)に「井上聞多と財政」と小見出しをつけた項目があるので、これを見ておきたい。

井上聞多と財政 国の歳入歳出問題が、政府の大きな悩みの種になっていた。ちょうどこの頃、大蔵卿(ママ)井上馨(かおる/聞多・原注)と次官渋沢(栄一・同)が辞職した。辞職にあたって、二人は太政官に建議書を提出した。それによると、国家の財政状態が警戒を要するようであった。すなわち内外の負債は累積し、年々二百万ドルの赤字があるということだ。この建議書の公表は世間に動揺を引き起した」(ねず・まさし他訳)

この記事にいう「動揺」した「世間」には、大隈重信や司法卿江藤新平もふくまれていた。次に、かれがどのように反応したかを眺めよう。

ブラック『ヤング・ジャパン』の「井上聞多と財政」という小見出しを立てた記事の次には、左の記事がある。

大隈重信卿 そして(明治六年〈一八七三〉五月十日、大隈重信に)、大蔵省の責任を負い、調査を行なうように命令が出された。大隈は(井上・渋沢合作の「建議書」を)精細に研究した結果、完全な予算を発表し、全く別の説明を行なった。彼は(建議書の)米の算定価格(歳入の大部分は、米で成り立っている・原注)があまりに低過ぎ、他の種目の算定も不正確であることを示した。一言でいえば、(歳入は)不足ではなく・・・・・・余剰であることを示した・・・・・・・・・・・その結果は正しかった・・・・・・・・・・」(傍点筆者)

傍点部分は舌足らずの上、誤訳の可能性もあるので、真実をもう少し深く掘り下げてみる。政府は明治6年5月18日、すなわち井上馨・渋沢栄一連名の建議書が提出されてから11日目にその書面を差しもどすと宣言。次のような「弁解」をこころみた(原文、漢字片仮名混じりの和風漢文、読み下し筆者)。

「建言の主意、その立論適当のことに候へども【略】現実と相違ひ候儀少なからず。【略】歳出入を概算し、一千万余の不足を生じ候等の儀書き載せ候へども、右は米価一石二円七十五銭を以て算当(さんとう/計算)候積(つもり/結果)にて、且(かつ)此内には逐年繰り戻しに相成り候分、又は廃藩置県の如き非常の入費、或(あるい)は一時の費(ついえ)のみにて年々例算すべからざる者もこれあり。その上政府現今の負債を論じ、実に一億四千万円に下らずとこれあり。【略】かれこれ実事に徴し勘合候へば、必ずしも毎年一千万円の不足を生じ、又一億四千万円の巨債を負ひ候訳にこれなく、かたがた右等申し出の儀不都合の次第につき、書面そのまま差しもどし候事」(『世外井上公伝』1より)

「臭いものに蓋をする」とは、醜悪な事実を他に知られないように、一時的な間に合わせの手段で隠すことをいう。大隈重信大蔵省事務総裁と井上・渋沢コンビよりランクの低かった同省の役人たちとは、この表現を地で行って建議書の受け取りを拒否したのである。

辞職騒動への世間の反応

このような政府の反応を第三者はどう感じたのか。

「政府の弁解はとにかくも、元来が(大蔵省)主管者(中心人物)の上書であつたからして、中外は政府の弁明を信ぜす、頗(すこぶ)る物議に渉(わた)った」と『世外井上公伝』1 は既述し、政府は大隈に大蔵省の簿記を精査させて歳入歳出の実額を計算し直させた。その結果、大隈は6月9日、「白豆」三条実美に対し「明治六年歳入歳出見込(みこみ)会計表」を提出するに至った。

この「会計表」は「我国歳計(さいけい)予算の濫觴(らんしょう/はじまり)」とされているから、「あらかじめ歳入を概算して歳出を歳入以下に抑えるべきだ」とする渋沢栄一の年末の主張は、ようやくここに生かされたわけであった。

ちなみに「明治六年歳入歳出見込会計表」には、以下のような数字が並んでいる。

歳入 金4,773万6,883円28銭3厘
歳出 金4,659万6,518円46銭4厘
歳入の歳出より多き高 金214万1,264円81銭9厘
 内外国債 3,122万4,701円

(『新聞雑誌』106号より)


井上・渋沢コンビが政府に建議書を届け、かつ新聞各紙にその写しを送らなければ、このような数字が公表されることなどはあり得なかった。上の数字の正不正はしばらく措くとしても、この建議書が国家予算の明朗化に役立ったことだけは確かであった。

『論語』による商業によって国家繁栄となる

このような大隈の動きに対し、大蔵省にとってより厄介だったのは司法卿江藤新平が井上・渋沢コンビを弾劾し、「政府の秘事を故(ことさら)に世に泄(もら)したのであるから、彼等を捕縛すべし」(『世外井上公伝』1) と主張したことであった。

以来、井上・渋沢コンビの身辺には司法省の探偵数人がつきまといはじめ、「建議書」をブラックの『日新真実誌』に載せるのに協力した大蔵省の書記官兼子(かねこ)謙、佐伯惟馨(これか)、稲垣某の3人は投獄の憂目を見たほど。憤激した井上馨は、5月27日、初代陸軍卿となっていた長州藩の先輩・山県有朋(やまがたありとも)に窮状を訴えたりした。

江藤はさらに、井上・渋沢コンビの罪に問うべく画策。明治6年7月20日、司法省臨時裁判所から井上には禁錮40日のところ特命により贖罪金3円、栄一にはおなじく「四円幾銭の罰金に処せられた」(同)

強面(こわもて)の江藤の動きもここまでだったが、栄一の辞職を知った役人仲間のうちには、かれを翻意させようとして神田小川町の渋沢邸を訪ねてきた者もあった。のちに「今大岡」と渾名(あだな)される名判事・玉乃世履(たまのせいり)や松本暢ら有為の人物と評判の高い友人たちが、栄一が民間に下るのを惜しんでやってきたのだ。対して栄一は、かねがね考えていたところを率直に述べた。

「国家の基礎は商工業にあり、政府の官吏は凡庸にても可なり。商人は賢才ならざる可(べか)らず。商人賢なれば、国家の繁栄保つべし。古来日本人は武士を尊び、政府の官吏となるを無上の光栄と心得、商人となるを恥辱と考(かんがえ)るは抑(そもそ)も本来誤りたるものにして、我国今日の急務は一般人心をして力(つと)めて此の謬見(びゅうけん)を去り、商人の品位を高(たこ)ふし、人才を駆りて商業界に向かはしめ、商業社会をして最も社会の上流に位せしめ、商人は即ち徳義の標本、徳義の標本は即ち商人たるの域に達せしめざる可らず予れ従来商業に於て経験しに乏しと雖も、胸中(に)一部の論語あるあり。論語を以て商業を経営し、両君の観に供せんとす」(『六十年史』第1巻)

栄一は初めて孔子の説いた『論語』の精神によって商業界へ進み、国家の繁栄に貢献する、との独得の人生観を披歴してみせたのである。


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プロフィール

作家 中村 彰彦

作家 中村 彰彦

1949年栃木県生まれ。作家。東北大学文学部卒。在学中に「風船ガムの海」で第34回文學界新人賞佳作入選。卒業後1973~91年文藝春秋に編集者として勤務。1987年『明治新選組』で第10回エンタテインメント小説大賞を受賞。1991年より執筆活動に専念し、93年、『五左衛門坂の敵討』で第1回中山義秀文学賞を、94年、『二つの山河』で第111回(同年上半期)直木賞を、2005年に『落花は枝に還らずとも』で第24回新田次郎文学賞を、また2015年には第4回歴史時代作家クラブ賞実績功労賞を受賞する。近著に『幕末維新改メ』(晶文社)など。史実第一主義を貫く歴史作家。

ホームページ:中村彰彦公式サイト

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