
ここまで順調に出世街道を進んだ明治期の渋沢栄一だったが、江藤新平と井上馨による、内閣VS大蔵省の大喧嘩に巻き込まれた。その時、栄一がとった決断は……。自身の利益や保身に走らず、利他をモットーとする人間像が垣間見られるエピソードを紹介する。
日本の資本主義の礎を築いた渋沢栄一。2021年のNHK大河ドラマ「蒼天を衝け」放送、22年には日本最高額紙幣の“顔”となる「日本資本主義の父」がどのように生まれたかを、史実第一主義の直木賞作家・中村彰彦氏が紹介する(編集部)。
日本の資本主義の礎を築いた渋沢栄一。2021年のNHK大河ドラマ「蒼天を衝け」放送、22年には日本最高額紙幣の“顔”となる「日本資本主義の父」がどのように生まれたかを、史実第一主義の直木賞作家・中村彰彦氏が紹介する(編集部)。
内閣と大蔵省の大喧嘩
内閣の要人たちは、大蔵大臣・井上馨と大蔵少輔・渋沢栄一と、司法卿江藤新平の対立をどのように眺めていたのであろうか。「白豆」こと三条実美は、前話で触れたようにおどおどしていてリーダーシップなし。参議の西郷隆盛は、鹿児島へ帰国中。おなじく大隈重信は関西へ出張中で、もうひとりの参議板垣退助もこの問題に関心を示さなかった。
井上が明治5年(1872)11月5日から自宅に引きこもると、渋沢栄一も江藤らの攻撃の矢面に立つのを嫌ってか、同月28日から大蔵省へ出勤するのを取り止めた。すると政府は井上・渋沢コンビの動きをサボタージュの一種とみなしたのであろうか、「各省の政費増給を拒絶する」という大蔵省の具申書面を却下してしまった。
そこで勝手に休職していた井上が太政官に出向き、大蔵省の考えを委曲を尽くして説明したが、各参議は聞く耳を持たない。これは在京の参議たちも、江藤が井上を批判する際に用いる「三井の番頭」「私欲の権化」といった悪口にいつの間にか影響を受けていたためかもしれない。
内閣と井上の仲がついに決裂したのは、明治6年(1873)5月3日のこと。この日、井上が大蔵省にもどってからの行動について、『世外井上公伝』1は栄一の談話を根拠として下のように書いている。
「各省では大蔵省の主張を容(い)れず、なに公(井上)の反対なんか構ふものかといふ風で、盛んに濫費(らんぴ)したので、真実の喧嘩と為(な)つて了(しま)ひ、公も最早我慢が出来ず、【略】内閣から省へ帰つて来て、『もう乃公(おれ)も辞職の外(ほか)は無い。』と渋沢等の昼餐中の席に来て述懐し、『さあ辞表を書いて呉(く)れろ。』と無造作に秘書官に吩咐(いいつ)けた」
このとき、栄一は口をはさんだ。「貴卿が辞任をなさるなら、私も罷(や)めます。」(同)
しかし、井上は、「国家の為(ため)だから後任者の為尽くしてくれ。」(同)といって聴き入れようとしない。そこで栄一は、こう言い返した。「それは貴卿の勝手が過ぎると存ずる。以前私が辞職を志した際御慰(ぎょい/慰留)があつて罷める時は一所にやめると仰(おつ)しやつたでは有りませんか。」(同)
これによって井上・渋沢コンビは、この日をもって大蔵省に辞表を提出することになった。文字通りの「連袂(れんべい)辞職」である。静岡藩で商法会所や常平倉を経営していた栄一が、太政官から呼ばれて出頭したのは明治2年(1869)11月4日のこと。栄一はその場で民部省の租税司正に補せられたのだから、都合三年半の役人生活であった。
数え34歳の栄一に、連袂辞職に踏み切らせることにためらいなど一切なかったように見えるのは、かれらが今日のサラリーマンより武士に近い感覚で生きてきたことによるのだろう。
「君(きみ)辱(はずかし)めらるれば臣(しん)死す」とは、主君が人から恥辱を受けたならば臣下たる者は命を賭してその恥をすすがなければならない、という感覚のこと。
あきらかに井上・渋沢コンビは、内閣が大蔵省の「入るを量って出だすをなす」の原則を理解しようとしないで井上の顔をつぶしたことを怒り、役人として生きてゆくという人生のコースを擲(なげう)ったのである。
井上が明治5年(1872)11月5日から自宅に引きこもると、渋沢栄一も江藤らの攻撃の矢面に立つのを嫌ってか、同月28日から大蔵省へ出勤するのを取り止めた。すると政府は井上・渋沢コンビの動きをサボタージュの一種とみなしたのであろうか、「各省の政費増給を拒絶する」という大蔵省の具申書面を却下してしまった。
そこで勝手に休職していた井上が太政官に出向き、大蔵省の考えを委曲を尽くして説明したが、各参議は聞く耳を持たない。これは在京の参議たちも、江藤が井上を批判する際に用いる「三井の番頭」「私欲の権化」といった悪口にいつの間にか影響を受けていたためかもしれない。
内閣と井上の仲がついに決裂したのは、明治6年(1873)5月3日のこと。この日、井上が大蔵省にもどってからの行動について、『世外井上公伝』1は栄一の談話を根拠として下のように書いている。
「各省では大蔵省の主張を容(い)れず、なに公(井上)の反対なんか構ふものかといふ風で、盛んに濫費(らんぴ)したので、真実の喧嘩と為(な)つて了(しま)ひ、公も最早我慢が出来ず、【略】内閣から省へ帰つて来て、『もう乃公(おれ)も辞職の外(ほか)は無い。』と渋沢等の昼餐中の席に来て述懐し、『さあ辞表を書いて呉(く)れろ。』と無造作に秘書官に吩咐(いいつ)けた」
このとき、栄一は口をはさんだ。「貴卿が辞任をなさるなら、私も罷(や)めます。」(同)
しかし、井上は、「国家の為(ため)だから後任者の為尽くしてくれ。」(同)といって聴き入れようとしない。そこで栄一は、こう言い返した。「それは貴卿の勝手が過ぎると存ずる。以前私が辞職を志した際御慰(ぎょい/慰留)があつて罷める時は一所にやめると仰(おつ)しやつたでは有りませんか。」(同)
これによって井上・渋沢コンビは、この日をもって大蔵省に辞表を提出することになった。文字通りの「連袂(れんべい)辞職」である。静岡藩で商法会所や常平倉を経営していた栄一が、太政官から呼ばれて出頭したのは明治2年(1869)11月4日のこと。栄一はその場で民部省の租税司正に補せられたのだから、都合三年半の役人生活であった。
数え34歳の栄一に、連袂辞職に踏み切らせることにためらいなど一切なかったように見えるのは、かれらが今日のサラリーマンより武士に近い感覚で生きてきたことによるのだろう。
「君(きみ)辱(はずかし)めらるれば臣(しん)死す」とは、主君が人から恥辱を受けたならば臣下たる者は命を賭してその恥をすすがなければならない、という感覚のこと。
あきらかに井上・渋沢コンビは、内閣が大蔵省の「入るを量って出だすをなす」の原則を理解しようとしないで井上の顔をつぶしたことを怒り、役人として生きてゆくという人生のコースを擲(なげう)ったのである。
超大作となった「建議書」の中身
ただし栄一は、明治6年度の大蔵省予算案が通り難いと感じた時点で、内閣に敗政意見書を提出しようと考え、名文家として知られた部下の那珂通高(なかみちたか)に草稿を見せて文飾を整えさせていた。栄一の辞表提出から2日、5月5日に井上にこれを見せると、
「これはよく出来た。併(しか)しも少し数字を入れて確(たしか)なことを書き足さねばならぬ。吾輩が手を入れるから、一つ連名で政府へ出さう」(同)といって加筆にとりかかった。
栄一がそれを持って帰ってふたたび那珂通高に手を加えさせ、決定稿の出来たのは6日のこと。内閣に提出されたのは7日のことであったが、400字詰めの原稿用紙に換算して14枚以上に達するこの「建議書」は、全文が『世外井上公伝』1に紹介されているので、そのポイントとなる部分を頭に入れておこう(原文は漢字片仮名混じり文)。
まず明治維新によって文明開化の時代がきたことを称(たた)えた筆者は、中央官庁と府県の役所に勤務する役人が増加する一方となって俸給額が嵩(かさ)み、歳出が歳入を上回る事態となっているため増税がおこなわれ、市民を苦しめつつあることに言及。政府の負債額をあきらかにした上で、その無策ぶりを下のように批判してみせた。
「今全国歳入の総額を概算すれば四千万円を得るに過ぎずして、予(あらか)じめ本年の経費を推計するに一変故(へんこ/非常の事態)なからしむるも、尚五千万円に及ぶべし。然(しか)らば則ち一歳の出入(でいり)を比較して、既に一千万円の不足を生ず。加之(しかのみならず)、維新以来国用の急なるを以て、毎歳負ふ所の用途も亦(また)将(まさ)に一千万円に超えんとす。其他官省旧藩の楮幣(ちょへい/紙幣)及(および)中外の負債を挙ぐるに、殆んど一億二千万円の巨額に近(ち)かからんとす。故に之を通算すれば、政府現今の負債実に一億四千万円にして、償却の道未だ立(たた)ざる者となす。然(しからば)則速く其制を設けて、遂次之を支消(ししょう)せざるべからず(負債を消してゆかねばならない)。【略】然り而して政府未だ意を此(これ)に注せず」
井上・渋沢コンビ連名のこの「建議書」は、国家の負債を無視して放漫財政に走ろうとする政府への弾劾文でもあったのだ。後段には、渋沢栄一の持論が次にように展開されている。
「夫(そ)れ出るを量りて入(いる)を制するは、欧米諸国の政(まつりごと)を為す所為(しょい/目安)にして今我国力(こくりょく)民情未だ此に出る能(あた)はざる者、人々能(よ)く知る所なれば、方今ノ策は且(しば)らく入(いる)ヲ量りて出(いず)るを制するの旧を守り、務(つとめ)て経費を節減し、予め其歳入をが概算して歳出をして決して之に超ゆるを得ざらしめ、院省使寮司(正院・各省・開拓使・諸寮・諸司)より府県に至るまで、其施設の順序を考量し、之れが額を確定し、分毫(ぶんごう/わずかの量)をも其限度を出るを許さず。【略】是(これ)今日の時勢にして我が国力民税の適(てき)とする所、未だ此に愈(かわ)る者あらざるなり」
最後に井上・渋沢コンビは、なにゆえこのような建議書を差し出す気になったのかを堂々と述べ立てた。
「夫(それ)知(しり)て言はざるは不忠なり。知らずして言(いう)は不智なり。臣等た縦(たと)ひ不智の譴(けん/とがめ)を受(うく)るとも、決して不忠の臣たるを欲せず。是(ここ)に於て乎(か)既に其職務に堪へざるを以て骸骨を乞(こう)と雖(いえど)も、区々の心今日恝然(かいぜん)たるに忍びず(不安を禁じ得ない)。故に敢(あえ)て其愚衷(ぐちゅう)を留めて、以て政府の少しく回顧する所あらんと望む耳(のみ)」
この建議書について『世外井上公伝』1は、「文意頗(すこぶ)る暢達し、遺憾なく時弊を論じ、国家百年の大計を説いてゐる」と高く評価している。政府側から見れば、このような建議書まで出すからには井上・渋沢コンビに意志を翻す気はない、と判断せざるを得ない。そこで5月9日、参議大隈重信に大蔵省事務総裁を兼務させることにし、14日に井上・渋沢コンビの辞職を聞き届けた。
「これはよく出来た。併(しか)しも少し数字を入れて確(たしか)なことを書き足さねばならぬ。吾輩が手を入れるから、一つ連名で政府へ出さう」(同)といって加筆にとりかかった。
栄一がそれを持って帰ってふたたび那珂通高に手を加えさせ、決定稿の出来たのは6日のこと。内閣に提出されたのは7日のことであったが、400字詰めの原稿用紙に換算して14枚以上に達するこの「建議書」は、全文が『世外井上公伝』1に紹介されているので、そのポイントとなる部分を頭に入れておこう(原文は漢字片仮名混じり文)。
まず明治維新によって文明開化の時代がきたことを称(たた)えた筆者は、中央官庁と府県の役所に勤務する役人が増加する一方となって俸給額が嵩(かさ)み、歳出が歳入を上回る事態となっているため増税がおこなわれ、市民を苦しめつつあることに言及。政府の負債額をあきらかにした上で、その無策ぶりを下のように批判してみせた。
「今全国歳入の総額を概算すれば四千万円を得るに過ぎずして、予(あらか)じめ本年の経費を推計するに一変故(へんこ/非常の事態)なからしむるも、尚五千万円に及ぶべし。然(しか)らば則ち一歳の出入(でいり)を比較して、既に一千万円の不足を生ず。加之(しかのみならず)、維新以来国用の急なるを以て、毎歳負ふ所の用途も亦(また)将(まさ)に一千万円に超えんとす。其他官省旧藩の楮幣(ちょへい/紙幣)及(および)中外の負債を挙ぐるに、殆んど一億二千万円の巨額に近(ち)かからんとす。故に之を通算すれば、政府現今の負債実に一億四千万円にして、償却の道未だ立(たた)ざる者となす。然(しからば)則速く其制を設けて、遂次之を支消(ししょう)せざるべからず(負債を消してゆかねばならない)。【略】然り而して政府未だ意を此(これ)に注せず」
井上・渋沢コンビ連名のこの「建議書」は、国家の負債を無視して放漫財政に走ろうとする政府への弾劾文でもあったのだ。後段には、渋沢栄一の持論が次にように展開されている。
「夫(そ)れ出るを量りて入(いる)を制するは、欧米諸国の政(まつりごと)を為す所為(しょい/目安)にして今我国力(こくりょく)民情未だ此に出る能(あた)はざる者、人々能(よ)く知る所なれば、方今ノ策は且(しば)らく入(いる)ヲ量りて出(いず)るを制するの旧を守り、務(つとめ)て経費を節減し、予め其歳入をが概算して歳出をして決して之に超ゆるを得ざらしめ、院省使寮司(正院・各省・開拓使・諸寮・諸司)より府県に至るまで、其施設の順序を考量し、之れが額を確定し、分毫(ぶんごう/わずかの量)をも其限度を出るを許さず。【略】是(これ)今日の時勢にして我が国力民税の適(てき)とする所、未だ此に愈(かわ)る者あらざるなり」
最後に井上・渋沢コンビは、なにゆえこのような建議書を差し出す気になったのかを堂々と述べ立てた。
「夫(それ)知(しり)て言はざるは不忠なり。知らずして言(いう)は不智なり。臣等た縦(たと)ひ不智の譴(けん/とがめ)を受(うく)るとも、決して不忠の臣たるを欲せず。是(ここ)に於て乎(か)既に其職務に堪へざるを以て骸骨を乞(こう)と雖(いえど)も、区々の心今日恝然(かいぜん)たるに忍びず(不安を禁じ得ない)。故に敢(あえ)て其愚衷(ぐちゅう)を留めて、以て政府の少しく回顧する所あらんと望む耳(のみ)」
この建議書について『世外井上公伝』1は、「文意頗(すこぶ)る暢達し、遺憾なく時弊を論じ、国家百年の大計を説いてゐる」と高く評価している。政府側から見れば、このような建議書まで出すからには井上・渋沢コンビに意志を翻す気はない、と判断せざるを得ない。そこで5月9日、参議大隈重信に大蔵省事務総裁を兼務させることにし、14日に井上・渋沢コンビの辞職を聞き届けた。
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