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渋沢栄一の「士魂商才」 ビジネスリーダーなら知っておきたい「日本資本主義の父」の肖像

第30話:日本初の国立銀行を設立へ

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大蔵省と各省の不仲

ついで明治5年2月、大蔵省は去年大蔵少輔に任じられたばかりの吉田清成(きよなり)(旧薩摩藩士)にイギリス出張が命じられた。その目的はイギリスにおいて公債を発行し、購入者を募集することにあった。『雨夜譚』はいう。

「この公債募集の事は大蔵省で井上(馨)が立案したもので、その主意は華士族の禄制を設けて一時にこれを給与し、国庫が永年の負担を免かれようという方法であって、その原資に充(あ)てるために外国において公債を起こして正金銀(しょうきんぎん)の資本を備え、ついに紙幣兌換の事もこの資本にて行い得らるる見込(みこみ)を以て吉田少輔にヨーロッパ派遣が命じられたのである」

吉田が出立するとき、栄一は大蔵三等出仕に任じられて少輔の事務を取り扱うよう命じられた。大蔵卿大久保利通が長期不在の間、省中は大蔵大輔井上馨が全権、栄一がこれを補翼する次官として処理してゆく体制となったのだ。それではここで、栄一の回想から当時の大蔵省の状態を語ったくだりを引いてみよう。

「さて理財の要務というは、まず第一に大蔵省において国庫の歳入総額を詳明に調査した上で政府は歳出を議定すべきものであるが、その頃では諸藩の跡始末も次第に整理の緒について、全国の歳入額も精密とはいわぬけれどもまず四千余万円という統計も出来たから、是非とも政府に上申して彼の量入為出・・・・の原則に拠って各省の政務を節約して、一方においては剰余金を作り、而して紙幣兌換の制をも設けたいという精神を以て井上は切 に勉強しられた」(同)

傍点を付した四文字「量入為出」は、「入るを量って出だすをなす」という方針のことを言う(第27話参照)。

しかし、井上・渋沢コンビのこのような努力にもかかわらず、政費を請求する各省と余剰金を作りたいためその政費を抑制しようとする大蔵省の間には、ついに「一種の権限闘争の如き紛議が生ずる事となった」(同)

大蔵省は金配りをするお大尽、各省は大蔵省からいかに多く政費をもぎ取るかに腐心する無産階級といった役回りだけに、各省の期待するように政費を出さない大蔵省は、しみったれのお大尽として次第に憎悪の的となってしまったのだ。

「就中(なかんずく)司法卿の江藤新平(旧佐賀藩士・筆者注)などは平生井上と相好からぬ仲だからもっともはなはだしく攻撃の鉾先(ほこさき)を向けて来るようになった。この時太政官は三条(実美〈さねとみ〉)公が首相(正しくは太政大臣)で、西郷、板垣、大隈などが参議の職に列し万機輔弼(ばんきほひつ)の任に居られましたが、三条公は縉紳(しんしん/高貴な人)なり、西郷、板垣は門閥で、政治上にはすこぶる有力であったが、経済の事務にはなはだ疎略であった」(同)

そこで井上・渋沢コンビはかつての大蔵卿で大蔵省の実況にも通じている大隈重信が太政官にあって財政改良につき大蔵省のために尽力してくれることにひそかに期待しながら、各省の政費の節約政策を続行しつづけた。

ヨーロッパの「バンク」を見本に、日本初の国立銀行設立を目指す

その目的は、歳入から幾分か余した金額を正貨で蓄積し、紙幣兌換の制を設けて国立銀行にこれを発行させよう、という点にあった。栄一は井上からそのための取調べを命じられたが、国立銀行に関してはすでに伊藤博文が兌換紙幣を発行させる件につきアメリカからレポートを送ってきたことがあったので(第26話参照)、これが大いに役立った。

そこで栄一たちは国立銀行条例を布告することにし、8月25日に政府から布告してもらった、と『雨夜譚』にあるのは記憶違いで、日本が銀行条例を定めたのは同年11月15日のこと。欧米にいう「バンク」を「銀行」と邦訳したのは栄一と思われるので、「太政官日誌」第百号、同年11月15日の項(『改訂 維新日誌』第4巻)からその「御布告書」を引いてみよう(漢字片仮名混じり文からやや表記を改める)。

「貨幣流通の宜(ぎ)を得、運用交換の際に梗阻(こうそ)の弊(へい/差し障り)なからしむるは、物産蕃殖(はんしょく/繁殖)の根軸にして、富国の基礎に候ところ、従来御国内においても、為替、両替等を業といたし、欧亜各国に通称する(バンク)の業体に等しきものこれあるといへども、その方法の精確ならざると、施為(しい/行為)の陋劣(ろうれつ)なるより、充分人民の便益を得るに至らざるにつき、このたび政府の公債証書を抵当として、正金引替の紙幣を発行する、銀行創立の方法を制定しあまねく頒布せしめ候条、望みの者はその力に応じて願ひ出、右銀行創立いたすべし、もっともその創立の手続き、営業の順序等は、すべて別冊国立銀行条例、同成規の条款に照準し(照らし)、毎事確実に取扱ひ候やういたすべき事」

パリ滞在中にバンクの利便性を痛感した栄一は、帰国4年目にして国立銀行の創設をプロデュースすることになったのであった。

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プロフィール

作家 中村 彰彦

作家 中村 彰彦

1949年栃木県生まれ。作家。東北大学文学部卒。在学中に「風船ガムの海」で第34回文學界新人賞佳作入選。卒業後1973~91年文藝春秋に編集者として勤務。1987年『明治新選組』で第10回エンタテインメント小説大賞を受賞。1991年より執筆活動に専念し、93年、『五左衛門坂の敵討』で第1回中山義秀文学賞を、94年、『二つの山河』で第111回(同年上半期)直木賞を、2005年に『落花は枝に還らずとも』で第24回新田次郎文学賞を、また2015年には第4回歴史時代作家クラブ賞実績功労賞を受賞する。近著に『幕末維新改メ』(晶文社)など。史実第一主義を貫く歴史作家。

ホームページ:中村彰彦公式サイト

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