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渋沢栄一の「士魂商才」 ビジネスリーダーなら知っておきたい「日本資本主義の父」の肖像

第12話:将軍弟・徳川昭武のフランス留学の供に選出される

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渋沢栄一が海外留学の供に選ばれた理由は類稀な経済感覚にあった

さて、京都滞在中だった徳川昭武14歳と水戸藩士7名、山高信離、渋沢栄一らが京を出発したのは慶応2年12月29日のこと。大坂から幕府所有の「長鯨丸(ちょうげいまる)」に乗りこみ、船中で慶応3年の元旦を祝って1月4日に横浜へ着いた。

横浜滞在の5、6日の間には、諸般の支度をしたばかりか幕府勘定奉行・小栗忠順、おなじく外国奉行・川勝(かわかつ)広道など開明的な徳川官僚たちに面会し、フランス人語学教師として来日していたビランという人物には昼食に招かれ、栄一は初めて洋食を口にした。

ここまでの部分で、栄一の回想に欠けている何点かを補足しておく。慶喜が栄一を弟・昭武の供に推挙した理由は、3つあった。

・ひとつは、昭武が水戸の7人に取りまかれていると考え方が偏屈になる怖れがあるが、栄一ならうまく折り合いをつけられるであろうという点。
・第2は、栄一は有為の人材だから昭武の留学仲間としてもふさわしい、と思われたこと。
・第3は、栄一なら庶務・会計の任に当たれる、という点であった(幸田露伴『渋沢栄一伝』)。

この時代であっても幕命によって海外に出張した者は帰国したら前借した旅費からいくら使用したかを申告し、清算をおこなわねばならない。万延元年(1860)遣米使節団の一員として渡米した小栗忠順、のちの明治7年(1874)、ロシア公使としてシベリア横断をおこなった榎本武揚のふたりはそろって算勘者(さんかんじゃ/計算の達人)であり、金銭に綺麗な性格でもあったから、帰国後まだ手許にあった残金と出費一覧表から計算によって出されたその額面との間には数10円程度の相違しかなかった(小栗の場合は数セント、榎本は数コペイカの違算)。

ただし、一般論でいうと武士には通貨を汚らわしいものとみなす感覚があり、特に尊王攘夷論者には金銭感覚にだらしのない者が多かった。慶喜は水戸徳川家の出身だけに、特に水戸人にそのような傾向が強いことを承知している。それゆえにやはり算勘者であり、播州木綿の流通ルートを作り上げて一橋家の台所事情を好転させた栄一を会計責任者として昭武に同行させれば間違いは起こるまい、と考えたのであったろう。

この「第3の点」に注目するならば、栄一が昭武の供のひとりに選ばれたのはただの「僥倖」などではなく、栄一が一橋家勘定組頭として発揮した才覚と進取の気性とを慶喜から高く評価された結果であった、とすべきである。

渋沢栄一の「洋食好み」という当時は珍しい食嗜好が渡航向きだった

また、洋食に対する反応にしても、栄一が『航西日記』に記録しているところはまことに興味深い。

これものちの話だが、明治4年(1871)に海路アメリカへ留学した旧会津藩の元白虎隊士で18歳になっていた山川健次郎は、「ジャパン号」の船中で出された洋食が臭くてとても食べられなかった。カレーライスにしてもカレーの部分がダメで、皿に添えられた「杏子(あんず)の砂糖漬」のみを副食にして米の飯だけを食べるという23日間に耐えてサンフランシスコへ渡っていった(「六十年前外遊の思い出」、『男爵山川先生遺稿』所収)。会津藩は内陸の藩だったため、肉食や生の魚を食する習慣がなかった。そのため健次郎は調理された肉の匂いが受けつけられなかったのだ。

それに較べると、栄一は一橋家に出仕したばかりで成一郎と長屋で同居していた時代には、竹の皮に包んだ牛肉を買ってきて食べることを最上の食事としていた。

慶応3年1月11日、フランスの郵船「アルヘー号」に載って横浜を出発した栄一が船内で供される洋食を美味と感じたのは、この肉食体験があったためのようだ。

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プロフィール

作家 中村 彰彦

作家 中村 彰彦

1949年栃木県生まれ。作家。東北大学文学部卒。在学中に「風船ガムの海」で第34回文學界新人賞佳作入選。卒業後1973~91年文藝春秋に編集者として勤務。1987年『明治新選組』で第10回エンタテインメント小説大賞を受賞。1991年より執筆活動に専念し、93年、『五左衛門坂の敵討』で第1回中山義秀文学賞を、94年、『二つの山河』で第111回(同年上半期)直木賞を、2005年に『落花は枝に還らずとも』で第24回新田次郎文学賞を、また2015年には第4回歴史時代作家クラブ賞実績功労賞を受賞する。近著に『幕末維新改メ』(晶文社)など。史実第一主義を貫く歴史作家。

ホームページ:中村彰彦公式サイト

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