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渋沢栄一の「士魂商才」 ビジネスリーダーなら知っておきたい「日本資本主義の父」の肖像

第9話:動乱の時代に出世街道をばく進する【後編】

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気合の入った旗本風の装いが裏目に出て人材募集が難航

井原村の代官と各村の庄屋たちに面談して村民の次男、三男のうち志ある者を召し出すように、と説諭すると、その者たちを呼び出して直接申しわたした方がよいのでは、という返事。それでは、と庄屋に付き添われてやってきた者たちに農兵募集の趣意を言い聞かせると、思いがけない反応が返ってきた。

「付添の荘屋(ママ)がいずれ篤(とく)と申し諭しまして御奉公いたしますなら直(ただち)に御請(おうけ)に出ます、といってガラガラと戸を明(ママ)けて出てゆくという有様で、毎日毎日この通りで多人数出ては来るけれども、一人として募(つの)りに応じて兵隊に出ようという者がいない」(『雨夜譚』)という事態となったのだ。

なぜそうなるのか栄一は理解に苦しんだようだが、すでに武家社会に馴染みはじめていたかれは、農民とは領主層に対する面従腹背をためらわない者たちだ、という点を失念してしまっていたと見える。栄一は、長棒引戸の乗物で旅する自分の姿をにわか武士には不似合いと感じていた。しかし井原村の人々には領主の命令を一方的に伝えにきた<お偉いさん>にすぎず、敬して遠ざけるにしかず、と思われていたのである。

そこで栄一は手法を改め、領内の撃剣家と学者にどういう者がいるかと尋ねて、関根某(なにがし)という剣士と興譲館という学校で教授をしている漢学者・阪谷希八郎の名を知った。こう書けばもうおわかりだろう、栄一はかつて北辰一刀流・玄武館の剣術仲間や海保塾の塾生から多くの同志を募り得たことを思い出し(※4)、上下ではなく横並びの気安く物を言いあえる人間関係を築いてから兵を募り直そうとしたのだ。

その線に沿って阪谷とその弟子たちと時事を談じたり宴会をひらいたりして、おもに開国論と再鎖国論の是非を論じると、阪谷は開国を主張して痛飲。関根某とは手合わせすると栄一が勝ってしまい、「この頃来て居る御役人は通常の俗吏(ぞくり/※3)ではない、学問といい剣術といいなかなかあっぱれの手際である」(同)と噂が立って、近在の村から文武に心得のある少年たちが毎日訪ねてくるようになった。

農兵募集に見せた視野の広さと人心掌握術

その少年たちや興譲館の書生たちと漁師が網で鯛を獲る「鯛網(たいあみ)」を見物しにゆき、その鯛を料理してもらって酒を飲み、詩を吟じるうちに、井原村から2人、他の村から数人の奉公希望者があらわれた。それでもほかの数十ヵ村からは反応がないので、これは庄屋たちを背後から掣肘(せいちゅう/※5)している者がいるな、と読んだ栄一は、庄屋たちを集めて決めつけるように告げた。

「乃公(おれ)はこれまでの一橋の家来のように普通一般の食録を貪って無事を安んじて居る役人と思うと大きな間違(まちがい)であるぞ。事と品によっては荘屋(ママ)の十人や十五人を斬り殺すぐらいの事は何とも思わぬから、各方(おのおのがた)においても余りグズグズするとそのままには決して差置(さしお)かれぬ、【略】察する処(ところ)陣屋(代官所)の役人がかれこれ面倒を厭(いと)うて掣肘して居るのであろうが【略】、果してそういうことがあるとすれば、代官であろうが毛頭容赦はしない。【略】今この通り自分の赤心(※6)を打ち明けて話したから、各々にも包み隠さずにこれまでの機密を陳述したがよい」(『雨夜譚』)と談じると、とても包み隠しはできないと見て庄屋たちが事情を打ち明けた。

お代官がかねがね我々におっしゃるには、黒川嘉兵衛さまには山師根性があり、村々へ種々面倒な事を申しつけることがある。それに服従していると難儀なことになるから、なるたけ敬して遠ざけるのがよい、とのことでした。そのため今度の歩兵取り立てについてもひとりも志願する者はいないといえばそれで済むと思い、希望者は実は沢山ありあましたがひとりも願い出ないと申したのです。しかるに旦那様(栄一)が書生や撃剣家を敬愛なされるので、旦那様に直(じか)に農兵になりたいと内願する者もあらわれ、みはやわれわれに内願者を押さえることはできません。でも今申し上げたことは、お代官には何卒内分に願います。

――ではその方たちの迷惑にならぬよう代官に談じることにしよう。そう応じた栄一は、代官と談判。志願者がないのは人撰の仕方が悪いか代官の平生の薫陶が悪いからだ、自分がかかる重大な御用で出張してきたのに農兵が募れなかった時はその理由を明らかにせねばならず、その時は貴殿にいかなる迷惑を及ぼすかわからない、というと、代官は委細承知しました、と態度を改めた。

すると続々と志願者が集まりはじめ、200以上に到達。播州、摂州、泉州でも応募者が相つぎ、全体で456、7人となったので、一橋家は7月に大隊編制の洋式部隊(2大隊か)を発足させることができた。

儒教の精神に磨かれた行動が真のリーダーシップと任務遂行能力を高める

渋沢栄一には白銀5枚と時服1領(※7)が褒美として与えられたが、この行動は栄一が功を立てた初例であると同時に、よく人間関係を理解した上で人材を集め、組織化する能力があることを充分に示したケースでもあった。現代風にいえば、栄一はリーダーシップをよく発揮してみせたのである。

「それのみではなく、此行(このこう)の道すがら、栄一は人情風俗の視察に力(つと)めて、芸能ある者、農商の道に功のあつた者、孝子・節婦・義僕等を調査し、之を具申して褒賞を請ひ、遂に允(ゆる)されて栄典の沙汰が行はれたといふ」(幸田露伴『渋沢栄一伝』)

親孝行な者や忠義な者を評価するのは、儒学の教えである。26歳になった栄一は、かねて学んだ儒学の精神を行動よって表現できるふところの深さを身につけるようになっていたのであった。


【編集部注】
※1:俗論党【ぞくろんとう】元治元年(1864)、「第一次長州征伐」の際、長州藩論を尊王討幕に統一しようとしたのに対して、あくまで幕府に恭順、謝罪しようと唱えた一派。
※2:「一橋家の家格」⇒第4話参照
※3:俗吏【ぞくり】つまらない事務を扱う役人。また、役人を嘲って呼ぶ蔑称。
※4:「北辰一刀流・玄武館と海保塾」⇒第3話参照
※5:掣肘【せいちゅう】人のわきから干渉して自由な行動を妨げること。
※6:赤心【せきしん】嘘いつわりのない、ありのままの心。まごころ。
※7:時服【じふく】毎年、春秋もしくは夏冬の2季に、朝廷や将軍から家臣が賜った衣服のこと。「時衣【じい】」ともいう

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プロフィール

作家 中村 彰彦

作家 中村 彰彦

1949年栃木県生まれ。作家。東北大学文学部卒。在学中に「風船ガムの海」で第34回文學界新人賞佳作入選。卒業後1973~91年文藝春秋に編集者として勤務。1987年『明治新選組』で第10回エンタテインメント小説大賞を受賞。1991年より執筆活動に専念し、93年、『五左衛門坂の敵討』で第1回中山義秀文学賞を、94年、『二つの山河』で第111回(同年上半期)直木賞を、2005年に『落花は枝に還らずとも』で第24回新田次郎文学賞を、また2015年には第4回歴史時代作家クラブ賞実績功労賞を受賞する。近著に『幕末維新改メ』(晶文社)など。史実第一主義を貫く歴史作家。

ホームページ:中村彰彦公式サイト

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