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渋沢栄一の「士魂商才」 ビジネスリーダーなら知っておきたい「日本資本主義の父」の肖像

第2話:被支配階級を脱するため自律的キャリア形成に目覚める

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政治への関与を志望するきっかけ

それにしても栄一は、首尾よく農民という被支配階級から脱出できた暁には、どういう人間になりたかったのか。その答えは、昭和2年(1927)に刊行された栄一の訓話集『論語と算盤』の「立志と学問」の章に語られている。

「『余は十七歳の時、武士になりたいとの志を立てた』というのは、その頃の事業家は一途(いちず)に百姓町人と卑下されて、世の中からほとんど人間以下の取り扱いを受け、いわゆる歯牙にも掛けられぬという有様であった。しかし、家柄というものが無暗(むやみ)に重んぜられ、武門に生まれさえすれば智能のない人間でも、社会の上位を占めて恣(ほしいまま)に権勢を張ることができるのであるが、余はそもそも、これが甚だ癪(しゃく)に障り、同じく人間と生まれ出た甲斐には、何が何でも武士にならなくては駄目であると考えた。その頃、余は少しく漢学を修めていたのであったが、『日本外史』などを読むにつけ、政権が朝廷から武門に移った経路を審(つまび)らかにするようになってからは、そこに慷慨(こうがい)の気というような分子も生じて、百姓町人としておわるのが如何(いか)にも情なく感ぜられ、いよいよ武士になろうという念を一層強めた。しかしてその目的も、武士になってみたいというくらいの単純なものではなかった。武士となると同時に、当時の政体をどうにか動かすことはできないものだろうか」

最後の一文を栄一は、次のくだりでは「今日の言葉を借りていえば、政治家として国政に参与してみたいという大望を抱いた」のである、と言い直している。『論語』や『孟子』は王道政治を理想とする立場から編纂された書物だから、これらを深く学んだものが実際の政治に関与したくなるのは自然な発想である。

ただし栄一は幕府や岡部藩のおこなっている「弊政」を批判的に眺めていたのだから、これまでの政道とはまったく違う政治思潮をもって良しとするようになっていった。その政治思潮とは、どのようなものだったのか。だれがそれを栄一に教えたのか。それを考えるには、栄一の従兄(いとこ)であり学問の師でもあった尾高新五郎(おだかしんごろう)のプロフィールから見てゆかねばならない。

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プロフィール

作家 中村 彰彦

作家 中村 彰彦

1949年栃木県生まれ。作家。東北大学文学部卒。在学中に「風船ガムの海」で第34回文學界新人賞佳作入選。卒業後1973~91年文藝春秋に編集者として勤務。1987年『明治新選組』で第10回エンタテインメント小説大賞を受賞。1991年より執筆活動に専念し、93年、『五左衛門坂の敵討』で第1回中山義秀文学賞を、94年、『二つの山河』で第111回(同年上半期)直木賞を、2005年に『落花は枝に還らずとも』で第24回新田次郎文学賞を、また2015年には第4回歴史時代作家クラブ賞実績功労賞を受賞する。近著に『幕末維新改メ』(晶文社)など。史実第一主義を貫く歴史作家。

ホームページ:中村彰彦公式サイト

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