「思いこみ」の罠

「オレオレ詐欺」の話を聞くと、「それは騙される方が甘いよ」と本心では思うのではないだろうか。平成27年(12月末時点)に警視庁が発表している振り込め詐欺は1,772件、60億1090万円である。オレオレ詐欺や還付金詐欺の被害者の多くは60歳以上の高齢者であるが、架空請求詐欺では全374件のうち60歳未満の件数が156件で、4割以上もある。高齢でなくとも詐欺の被害にあっている人は結構いるのだ。

 「オレオレ詐欺」の話を聞くと、「それは騙される方が甘いよ」と本心では思うのではないだろうか。

 平成27年(12月末時点)に警視庁が発表している振り込め詐欺は1,772件、60億1090万円である。オレオレ詐欺や還付金詐欺の被害者の多くは60歳以上の高齢者であるが、架空請求詐欺では全374件のうち60歳未満の件数が156件で、4割以上もある。高齢でなくとも詐欺の被害にあっている人は結構いるのだ。

 なぜ人は、こうもやすやすと騙されてしまうのだろうか? 

 人が何かを判断する時の方法について、2002年にノーベル経済学賞を受賞したバーノン・スミスとダニエル・カーネマンは下記のように述べている。
「人間は必ずしも論理的ではなく、ヒューリステックと呼ばれる近道するようなやり方で判断を行っている」
 ヒューリステックとは、人が意思決定をしたり判断を下す時に、厳密な論理で一歩一歩答えに迫るのではなく、直感で素早く解に到達する方法を指す。
 こうした人の心理と経済活動についての研究は行動経済学として、21世紀になってから盛んに研究されている。

 それでは、咄嗟の判断が必要な時、どのようにしたら最良の選択ができるだろうか?
 ここでは、「アントレプレナーの経営学」(注)を引用しながら解説したい。私たちの判断の癖、思いこみの罠を理解して、ビジネスシーンや日常生活のなかで、より有利な判断ができるような練習方法を紹介しよう。

 本書では、「意思決定はいかにすべきか(規範的)」ではなく、「意思決定はいかに行われるか(記述的)」について言及している。そして「人間は、限られた時間とコストの中で不完全な情報処理を生かすために、意思決定を最適化するより、むしろ『満足する』傾向がある」と述べ、ヒューリステックを4つに分類して、それらから起きる様々なバイアス(=論理的な選択結果と、ヒューリステックに選んだ選択結果のギャップ)を紹介している。
 「アントレプレナーの経営学」では10以上のバイアスの例が紹介されているが、ここではオレオレ詐欺を説明するために4つのヒューリステックを取り上げ、バイアス例をまとめてみた(表1)。

判断の
ヒューリステック
代表的なバイアス例バイアス例の説明
①感情に関する
ヒューリステック
「情緒的評価」多くの判断は、理由づけが行われる前に、情緒的評価によって引き起こされる。
②肯定的仮説検定「確証のわな」仮説の反証ではなく、仮説を確認できる証拠を探す傾向がある。
③代表性に関する
ヒューリステック
「連言錯誤」実際に起こる可能性が低くても複数の事柄をつなぎあわせて「ありそうな話」をつくる。
④利用可能性に関する
ヒューリステック
「思いだしやすさ」記憶が鮮明、新しいもので判断する。

表1. 判断のヒューリステック(「アントレプレナーの経営学」より)
 振り込め詐欺に騙される過程は、この表で次のように説明ができる。
 高齢者は、「オレオレ!」と電話がかかってきて、孫に大変だと言われれば、①まず「情緒的評価」で「助けてあげなくては」という気持ちになる。一旦、「助けてあげなくては」と思うと、②「確証のわな」に陥り、これはおかしいと疑ったり、反証することなく、「孫の声だ」「私の名前を知っている」と確認できる証拠を探す。そして、③「連言錯誤」で「そうそう、孫は忙しいと言っていたから、ついカバンを置き忘れに違いない」「うちの孫は優秀だから、そういう大事な仕事を任されているに違いない」と勝手に話を作りだしてしまう。そして電話を切ったあとは、詐欺師から指示された、お金の受け渡し方法など、④具体的で記憶が新しい「思いだしやすさ」の情報で頭が一杯になり、慌てて言われるがまま行動してしまう。

 このようにヒューリステックによる判断が詐欺被害につながることはあるが、その判断が完全に悪いというわけではない。人間の認知や情報処理能力には限界があるので、限られた時間の中で「論理的に最適な回答を得る」よりも、「満足がいく回答を得ようとする」行動には、それなりの意味がある。経済的に利得が多いよりも、感情的に満足をするほうが幸せなこともある。

 しかしながら、詐欺に騙されるのは悔しいし、仕事や日常生活でよりよい選択ができるほうがよい。そこで、反射的に起きる「情緒的評価」は避けられないとしても、それだけで判断をつけてしまう前に、一呼吸おいて「確証のわな」を避けるための反証を探してみよう。思い込みや咄嗟の判断だけで決めつけるのではなく、目の前の事象を精査する習慣をつけてみてはどうだろうか。

 この習慣を身に着ける私のお薦めの練習方法は、事象の集合の図(ベン図)を思い浮かべるというものである。
 ここでは代表性のヒューリステックとして有名なリンダ問題で練習してみよう。

問.リンダは大学時代に社会的問題に関心があり、社会的な活動にも参加していた。大学卒業後のリンダの姿として、次の説明の中から最もふさわしいのはどれか?

選択肢.
(a)リンダはフェミニスト運動家である。
(b)リンダは銀行窓口係である。
(c)リンダはフェミニスト運動家で銀行窓口係でもある。

 上記の質問に対する、あなたの回答はどれだろうか?
カナダの大学生の回答は(c)が(b)を上回ったという。この結果は、「リンダは社会的問題に関心がある」という情報から活動家だと思いこんでしまうヒューリステックによるものである。

 実際には、(c)銀行窓口係でフェミニストの人数は、(b)銀行窓口係の人数よりも多くない。フェミニストでなければ銀行員になれないという法律でもあれば話は違ってくるが、通常は図2に示すように、リンダがフェミニスト運動家で銀行窓口係でもある確率は、銀行窓口係である確率よりも低いのである。日頃から、思いこみの罠にはまらないよう、図2のような事象の関係を表す図を思い浮かべようにしておくと、どの事象のほうがよく起きるのかを論理的に判断するときに役立つ。
「思いこみ」の罠
(注)「アントレプレナーの経営学」(2016年3月 慶應義塾大学出版会から発刊予定)は、世界的に起業家教育を行っているカウフマン財団が出版したUnlocking the Ivory Tower: How Management Research Can Transform Your Business, by Eric R. Ball and Joseph A. LiPuma, Kauffman Fellows Press, 2012の翻訳本。マックス・ベイザーマンとドン・ムーアの「行動意思決定論」の内容をビジネスパーソン向けに紹介している。