
「経営チームをつくるために誰をメンバーに選んでいいかわからない……」
「経営チームの人選で何を基準に考えればいいかわからない……」
「経営チームの人選は一番売上をあげた人間でいいのではないか……」
「経営チームの人選は部下を率いていける人間が望ましいのではないか……」
これは、すでにチームで経営を進めている社長、そして経営チームをつくろうとしている社長からよく聞く言葉です。昇進は、実績を基準に考えなければならないのは当然のことですが、大事なのはその実績の中身です。プレイヤーとして功績をあげたからといって、部下に成果をあげさせることができるかというと、そうではありません。また、プレイヤーとして成績をあげることができなかったからといって、部下に成果をあげさせることができないかというと、それも違います。
今あなたは、「プレイヤーとして功績をあげられない人が部下に成果をあげさせることはできないだろう」と思っているのではないでしょうか。
中国の後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代の興亡史が描かれた『三国志』という本があります。その『三国志』に中心人物として登場する諸葛孔明は、剣を持って武人と戦う能力はゼロでした。しかし、兵や軍を調練して鍛え上げ、戦いに必要な武器を考え出す能力に長けていました。また実戦においては、神算鬼謀の戦略をもって百戦百勝を得る名軍師でした。自分が武器を使って相手に勝つ能力、兵や軍を鍛え上げる能力、新しい武器を考え出す能力、軍を率いて勝利を得る能力、これらはそれぞれまったく違う能力なのです。
おわかりいただけたように、「プレイヤーとして功績をあげられない人が部下に成果をあげさせることはできない」というわけではないのです。部下を持つ人に必要なのは部下を成長に導く能力であり、市場を新たに開拓するのに必要なのは戦略を打ち立てる能力であり、組織を預かる人に必要なのは組織を通じて成果をあげる能力です。ある人を昇進させようかさせないか思いあぐねるとき、「その人がこれまでやってきたこと」と「その人にこれから期待すること」が合っているかどうか、任命する側がそれを理解しておかないと人事を間違ってしまいます。では、部下を持たせ、マネジメントを担ってもらう人を選出するとき、どんな基準で考えていけばいいのでしょうか?
ドラッカーはこう言っています。
「判断力が不足していても、害をもたらさないことはある。しかし、真摯さに欠けていたのでは、いかに知識があり、才気があり、仕事ができようとも、組織を腐敗させ、業績を低下させる。真摯さは習得できない。仕事についたときにもっていなければ、あとで身につけることはできない。真摯さはごまかしがきかない。一緒に働けば、その者が真摯であるかどうかは数週間でわかる。部下たちは、無能、無知、頼りなさ、無作法など、ほとんどのことは許す。しかし、真摯さの欠如だけは許さない。そして、そのような者を選ぶマネジメントを許さない。」(ピーター・ドラッカー『現代の経営』)
これは「人間的にちょっと……」という人間を責任者に任命するような経営者を社員は許さないという意味です。どこの会社にも優秀な人はたくさんいます。しかし、有能な人格者がたくさんいるかというと必ずしもそうではありません。では、具体的にどんな基準で人材を見えていけばいいかお伝えします。
「経営チームの人選で何を基準に考えればいいかわからない……」
「経営チームの人選は一番売上をあげた人間でいいのではないか……」
「経営チームの人選は部下を率いていける人間が望ましいのではないか……」
これは、すでにチームで経営を進めている社長、そして経営チームをつくろうとしている社長からよく聞く言葉です。昇進は、実績を基準に考えなければならないのは当然のことですが、大事なのはその実績の中身です。プレイヤーとして功績をあげたからといって、部下に成果をあげさせることができるかというと、そうではありません。また、プレイヤーとして成績をあげることができなかったからといって、部下に成果をあげさせることができないかというと、それも違います。
今あなたは、「プレイヤーとして功績をあげられない人が部下に成果をあげさせることはできないだろう」と思っているのではないでしょうか。
中国の後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代の興亡史が描かれた『三国志』という本があります。その『三国志』に中心人物として登場する諸葛孔明は、剣を持って武人と戦う能力はゼロでした。しかし、兵や軍を調練して鍛え上げ、戦いに必要な武器を考え出す能力に長けていました。また実戦においては、神算鬼謀の戦略をもって百戦百勝を得る名軍師でした。自分が武器を使って相手に勝つ能力、兵や軍を鍛え上げる能力、新しい武器を考え出す能力、軍を率いて勝利を得る能力、これらはそれぞれまったく違う能力なのです。
おわかりいただけたように、「プレイヤーとして功績をあげられない人が部下に成果をあげさせることはできない」というわけではないのです。部下を持つ人に必要なのは部下を成長に導く能力であり、市場を新たに開拓するのに必要なのは戦略を打ち立てる能力であり、組織を預かる人に必要なのは組織を通じて成果をあげる能力です。ある人を昇進させようかさせないか思いあぐねるとき、「その人がこれまでやってきたこと」と「その人にこれから期待すること」が合っているかどうか、任命する側がそれを理解しておかないと人事を間違ってしまいます。では、部下を持たせ、マネジメントを担ってもらう人を選出するとき、どんな基準で考えていけばいいのでしょうか?
ドラッカーはこう言っています。
「判断力が不足していても、害をもたらさないことはある。しかし、真摯さに欠けていたのでは、いかに知識があり、才気があり、仕事ができようとも、組織を腐敗させ、業績を低下させる。真摯さは習得できない。仕事についたときにもっていなければ、あとで身につけることはできない。真摯さはごまかしがきかない。一緒に働けば、その者が真摯であるかどうかは数週間でわかる。部下たちは、無能、無知、頼りなさ、無作法など、ほとんどのことは許す。しかし、真摯さの欠如だけは許さない。そして、そのような者を選ぶマネジメントを許さない。」(ピーター・ドラッカー『現代の経営』)
これは「人間的にちょっと……」という人間を責任者に任命するような経営者を社員は許さないという意味です。どこの会社にも優秀な人はたくさんいます。しかし、有能な人格者がたくさんいるかというと必ずしもそうではありません。では、具体的にどんな基準で人材を見えていけばいいかお伝えします。
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