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経営者のあの一言

「金の卵は鍛えて初めてそうなる。ネクラだった明石家さんまを「トークの達人」にしたのも、間寛平を「走れる芸人」に仕立て直したのも、そのとき彼らに付いていたマネージャーだった。 」 吉本興業 元社長・元会長 中邨秀雄

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中邨氏は、1932年、大阪市生まれ。大阪府立生野高等学校から関西学院大学文学部に進学、在学中はラグビー選手として活躍した。

1955年、吉本興業に入社。人気漫才師の花菱アチャコ、大村崑などのマネージャーを務め、うめだ花月劇場のオープンや吉本新喜劇の立ち上げにも関わった。人気テレビ番組「ヤングおー!おー!」をプロデュースしたこと転機となり、その後も所属タレントを積極的にテレビに出演させる戦略を展開。「お笑いの吉本」のイメージを広く定着させた。

その後、制作部長、常務、専務、副社長を歴任し、1991年4月に、会長だった林正之助の死去に伴い、代表取締役社長に就任。東京進出にも積極的に取り組み、吉本興業の業績向上に貢献した。

掲出は、芸人が売れ始めた時期のマネージャーの役割がいかに大切かを語った言葉だ。

同じことは上司と部下の関係にも言えそうだ。若手社員の頃の上司の影響はとても大きい。上司が若手の向き不向きを見極め、適切な仕事を与えることができれば、若手はそのフィールドで思う存分、翼を広げ、才能を開花させるだろう。もしかするとその若手社員の仕事観そのものにも影響するかも知れない。導く立場の者の責任は重大だ。

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経営者・事業部門責任者から部長・課長・リーダー層まで、経営の根幹を支える人たちの成長を支援するパートナーメディアを目指します。日々の業務に役立つニュースや小ネタ、組織強化や経営理論まで幅広く学べる記事を提供します。

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