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第269回  「重役とは未知への探求をする役である。重役が未知の探求をしないで後始末ばかりしている掃除屋であってはならない。」本田技研工業 元最高顧問 藤沢武夫

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 藤沢氏は、1910年、東京生まれ。旧制中学を卒業後、仕事を転々とした後、三ツ輪商会という鋼材小売店に入社した。ここで商売を学び、1939年、独立して日本機工研究所を設立する。しかし、戦争が激化したことから会社をたたみ、福島県二本松町に疎開。戦後はそのまま二本松町で製材業を営んだ。
 
 人からの紹介で本田宗一郎氏と出会ったのは1949年。当時の本田技研は、販売は好調なのに経営は思わしくないという状態だった。代金の回収がうまくいっていなかったからだ。
 本田氏の人柄にひかれた藤沢氏は、福島の製材業をたたみ、本田技研工業に入社、常務に就任する。以後、本田氏が技術面を、藤沢氏が財務・販売面を担当し、同社を世界的な企業へと育て上げていくことになる。

 F1参戦をはじめとして、本田氏が新しいことへの挑戦を好んだことはよく知られているが、藤沢氏も負けず劣らずのチャレンジ精神の持ち主だった。たとえば、本田氏が新しい工作機械を欲しがっていることを知った藤沢氏は何もいわずに購入を決断している。本田技研工業の資本金が6,000万円の時、この工作機械の値段は4億5,000万円もしたというのだから、普通なら考えられないことだろう。また、本田技研工業躍進のきっかけになった、世界最高峰のオートバイレース、マン島TTレースへの参戦も藤沢氏の決断という。
 
 動きの早い現代のビジネス社会では現状維持は後退を意味する。舵を取る経営陣がチャレンジを恐れていたら会社は伸びない。

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経営者・事業部門責任者から部長・課長・リーダー層まで、経営の根幹を支える人たちの成長を支援するパートナーメディアを目指します。日々の業務に役立つニュースや小ネタ、組織強化や経営理論まで幅広く学べる記事を提供します。

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