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渋沢栄一の「士魂商才」 ビジネスリーダーなら知っておきたい「日本資本主義の父」の肖像

第4話:渋沢栄一の生涯最大の危機【前編】

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疫病流行やテロ事件勃発から、激動の世へ身を投じる覚悟を固める

ところが文久元年(1861)5月28日深夜、水戸脱藩14人の尊攘激派が高輪(たかなわ)東禅寺に置かれていたイギリス公使館に侵入。幕府派遣の警備兵3人を殺害し、17人を負傷させるという大事件を起こした。いわゆる「第一次東禅寺事件」。すると次には、今度狙われるのは、1年前に「桜田門外の変」で殺害された井伊直弼同様の強権政治をおこなっている老中首座・安藤信正(磐城平〈いわきたいら〉藩主)だ、との噂が流れた。

これを受けて、負けじと一騒動企んだのは尾高長七郎。長七郎は長州藩の多賀谷勇(たがや いさむ)という尊攘激派と語らい、上野寛永寺の「上野の宮様」こと輪王寺宮公現法親王(りんのうじのみや こうげんほっしんのう)を奉じて日光山に挙兵し、幕府の国策を開国通商から尊王攘夷に導くことを夢見たのである。

しかし、攘夷戦をおこなうべく挙兵するには同志多数をかき集めねばならない。関東の尊攘激派の総本山は水戸藩だから、水戸に同志を募ろう。そう考えて長七郎と多賀谷勇は水戸へ走り、明敏さをもって知られた藩士・原市之進に協力を求めたものの断られてしまった。そこでふたりは下野(しもつけ)の宇都宮城下に尊王攘夷論者として名のある大橋訥庵(とつあん)を訪ねることにし、11月8日夜、首尾よく訥庵と会見することができた。

ところがその夜、訥庵邸には安藤信正襲撃を考えている水戸や宇都宮の尊攘激派が集まって来て、話はもっぱらこの襲撃計画のことになってしまう。これでは日光山挙兵など夢のまた夢だ、と悟ったふたりは江戸を経て手計村に帰郷し、やはり江戸から帰ってきていた尾高新五郎と渋沢栄一に安藤信正襲撃計画が進行中であることを打ちあけた。

このことを幸田露伴『渋沢栄一伝』が「相談した」と表現しているのは、長七郎と多賀谷勇は栄一と新五郎一が賛成するなら襲撃グループに参加しても構わないと考えていた、というニュアンスである。だが、本稿でやや詳しく述べたように、栄一は尊攘激派寄りの志を育みつつあるとはいえ、根っからの破滅型ではない。新五郎とともに襲撃参加を否としたため、訥庵の家での密議に参加した長七郎は念のため上州佐位郡の国領村に身を隠すことにした。

問題の人物、老中首座安藤信正は、あけて文久2年(1862)1月15日の朝五ツ時(午前8時)、江戸城西の丸下の役宅を出、登城するため桔梗門(ききょうもん)外から坂下門へむかった。すると、どこからか銃声1発。供侍(ともざむらい)35人のひとり松本錬次郎が倒れ、2発目はむなしく斎藤万之助の胸許をかすめた。「坂下門外の変」の発生であった。

長七郎たちと訥庵邸で顔を合わせた尊攘激派7人のうち6人が、烈士として歴史に名を残すべく斬りこんだのである。しかし、信正の乗物を守る供侍は、磐城平藩の家中(かちゅう)から選抜された剣の達人ばかり。6人の刺客はことごとく血の海に沈み、襲撃は大失敗におわった。その3日前の1月12日には大橋訥庵も幕吏(ばくり〈※2〉)に捕らわれていたのだが、栄一はそうとはとんと知らずに坂下門外の変発生の報に接したのである。

それにしても、事ここに至っては幕吏が長七郎の行動をも把握し、その行方を追いはじめていることもあり得ぬではない。栄一は長七郎の身を案じるあまり、国領村へ出向いた。ところがこのとき、何も知らない長七郎は江戸の同志たちと次の行動を考えるため出府しようとして4里(約16㎞)先の熊谷(くまがや)まで移動していた。その熊谷で追いついた栄一は、次のように助言した。

「江戸へ出るというは余りに無謀な話で、自(みず)から死地へ就(つ)くも同様だによって、ここから方向を換えて、一刻も早く信州路から京都を志してしばらく嫌疑を避けるのが上分別(じょうふんべつ)であろう」(『雨夜譚』)長七郎はこの助言を受け入れ、信州佐久郡に2ヵ月潜伏したあと京へおもむいた。

栄一が長七郎に上京してはどうかと提案したのは、自分が尊攘激派の集まりつつある京の情勢を知りたかったためでもある。そして、いよいよ栄一は、みずからも尾高新五郎や渋沢成一郎とともに攘夷のための挙兵に踏み切ろうと考えはじめたのであった。【つづく】

【編集部注】
※1:佐幕派=幕府の政策を支持する勢力。反幕勢力としての「勤王派(天皇親政を実現しようとする思潮を掲げた一派)」の対義。
※2:幕吏=幕府の役人

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プロフィール

作家 中村 彰彦

作家 中村 彰彦

1949年栃木県生まれ。作家。東北大学文学部卒。在学中に「風船ガムの海」で第34回文學界新人賞佳作入選。卒業後1973~91年文藝春秋に編集者として勤務。1987年『明治新選組』で第10回エンタテインメント小説大賞を受賞。1991年より執筆活動に専念し、93年、『五左衛門坂の敵討』で第1回中山義秀文学賞を、94年、『二つの山河』で第111回(同年上半期)直木賞を、2005年に『落花は枝に還らずとも』で第24回新田次郎文学賞を、また2015年には第4回歴史時代作家クラブ賞実績功労賞を受賞する。近著に『幕末維新改メ』(晶文社)など。史実第一主義を貫く歴史作家。

ホームページ:中村彰彦公式サイト

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