チームワークのあり方:レゴブロックと虹

前回は、「組織の意思決定の立脚点」について考えた。意思決定にあたって、欧米企業は「個別正当性」を重んじ、日本企業は「普遍的妥当性」を大切にするといった内容を述べた。最終回となる今回は、欧米企業と日本企業の「チームワークのあり方」について考えたい。

前回は、「組織の意思決定の立脚点」について考えた。意思決定にあたって、欧米企業は「個別正当性」を重んじ、日本企業は「普遍的妥当性」を大切にするといった内容を述べた。最終回となる今回は、欧米企業と日本企業の「チームワークのあり方」について考えたい。

欧米企業で求められるチームワークは、チームの構成員一人ひとりのすべきことがはっきりしていて、それを各々が全うし、チーム全体として高い成果を上げることである。これは“レゴブロック”を組み立てるのに似ている。あるブロックと別のブロックをつないでも、どこまでがどのブロックであるかははっきりしている。黄色いブロックとそれにつないだ赤いブロックはそもそも別物だ。しかしそれらを組み上げた時に全体として汽車なりお城なりが出来上がる。ブロック同士の連結は固く、ちょっとしたことで勝手にバラバラになってしまうようなことはない。

欧米企業が求めるのはこのようなチームワークで、そこには「個の確立」と「全体目的の共有」が必要とされる。一人ひとりの社員が、技能や知識や経験を持って自分の役割を果たし、チーム全体の目標達成のために働くことが求められる。個人の専門性が尊重されるので、エンジニア、経理マネージャー、営業担当者など、各々が「プロ」として自立し、職責を果たすことが大切である。

したがって、「どの分野のことでも分かる人」よりも、「専門分野に長けた人」が求められることになり、個人のキャリア形成も、特定分野で専門性を深めようとする傾向が強い。専門知識とその分野での経験を深めることで、自分の「市場価値」を高めてゆこうとする。もちろん管理職になれば、いろいろな分野の情報を総合して考える必要があるが、それでもやはり「どの分野のことでも知っている」ことよりは、「広い視野に立って判断できる」、「チームに方向性を与えられる」というようなことに重きが置かれる。

一方で、日本企業が求めるチームワークは“虹”に似ている。隣り合う領域や同じ部署の担当者同士の境界線はあまり明確ではない。例えるならば、虹の赤と紫は離れていて容易に区別がつくが、黄色と赤の間に境界線を引くのは難しいのと同じように、法務と営業の仕事には大きな違いがあるが、営業管理と外勤営業の間にはどちらが担当するとも言い切れない領域が存在するのが日本企業である。

なぜこうなるかといえば、日本企業では、お互いの仕事をカバーしあったり、手が空いた人が気を利かせて他の人の仕事をしてあげたりすることが大切だからである。チームのすべき仕事というものがまずあって、それをチーム全員の力で成し遂げてゆくのが日本企業のチームワークである。

筆者の経験に即した具体例を一つあげよう。ある小売業の会社で外国人と日本人が同じチームで働いていた。外国人社員が休みを取った日に、その人が担当していた顧客から電話がかかってきた。そこで電話を取った日本人社員が代わりに処理してあげたところ、次の日に出社してきた外国人社員が「私の仕事を奪われた」と激怒したというのだ。その外国人社員は「自分の担当顧客」、「自分の領域」、「自分の仕事」を侵害されたと感じたのである。一方でこの日本人社員は、「担当者が休んでいるので処理できない、という対応ではお客様に申し訳ない」、「自分のできる範囲で対応して引き継ごう」と考えたわけだ。そこには「チームのお客様」、「チームの仕事」という意識が働いている。

こうしたトラブルは日本人同士でも起きることはあるし、また日本企業でも、職務分掌の文書化などによって、どこからどこまでが責任範囲なのかを明確にしていたりもする。しかしながら、個人から出発して各個人を有機的に結び付けることで良いチームを作り上げようとする欧米企業と、チームの仕事から出発してそれをどう各個人が担うかを考える日本企業との間には、「チームワークに対する考え方」に大きな違いがあることは間違いない。

端的に言えば、欧米企業は「個人」が仕事をし、日本企業は「組織」が仕事をする。欧米企業が「組織効率向上」に、日本企業が「人材育成」に注力していることの重要性を、決して無視するわけではないが、欧米企業の「アチーブメント」や「インサイト」はまず「個人」が獲得し、日本企業の成果や経験や知見は、「組織」に蓄積されていく。

この点を認識することが、多様な国籍の構成員がいるチームや国際的な組織で成果をあげていこうとする時の、言わば出発点になるのではないだろうか。