社員が自らリーダーに「なりたくなる」を引き出す育成法

これまで会社を引っ張ってきた経営者や役職者からすれば、これからの時代を担いさらに会社を発展させていくリーダーとなるべき社員がひとりでも多く育つのは心からの願いでしょう。

「社員がリーダーとして育たないのは、そもそも『なりたくないから』である」

 これまで会社を引っ張ってきた経営者や役職者からすれば、これからの時代を担いさらに会社を発展させていくリーダーとなるべき社員がひとりでも多く育つのは心からの願いでしょう。

 そんな社員が多い会社は、いちいち指示しなくても、会社の目指すビジョンや目指すべき目標を自分ごととしてとらえるため、外部環境の困難さをのりこえ、あたらしい時代に即した創造的な活動を次々とおこない、しかも会社全体がよろこびとたたえ合いにみちた「チーム」となります。

 その「チーム」の雰囲気はかならずや社風としてにじみ出てくるものです。だからこそ少子化時代がますます進む中でも、イキイキとして目を輝かす「さらに次の世代」を担う若い社員が次々と集合してとだえることがありません。

 会社はひとの集合体。ひとがいない会社は存在しません。会社にとってひとの問題は経営課題の第一です。会社の屋台骨ともいえる、「リーダーとなれる社員」をひとりでも多く産み出せることは、他のだれにもまねできない「コアコンピタンス」であり、そのまま会社の発展へ直結します。

 そんな会社がひとつでも多く生まれたら、その会社を通してしあわせやよろこびをもたらす商品やサービスや文化が社会にどんどん広がります。社会を支える「公器」としての会社、そしてそれを支えるリーダーとしての経営者、役職者。次のリーダーを育てていくことは、社会的意義ある大事業です。

「いやあ、それができれば苦労しないよ」

 そんな声が聞こえてきそうですね。
 実のところ、人づくりに関しては、さまざまなことがすでに提唱され、行われています。数値評価や業績評価による動機づけ、組織体制、管理体制の強化によって目標達成を厳密に実施させる体制づくり、「叱る」「ほめる」といった「接し方」なども含めたマネジメントなど、手法は実にさまざまです。
 あらゆる手法が毎年のように提唱され、紹介されていますが、実際のところ、なかなかむずかしく、効果に四苦八苦しているのが現実。

「結局、本人のやる気なんだよなあ。」

 あきらめの言葉を、つぶやいたりしていませんか?
 もしそうだとしたら…チャンスです。
 大切なことは、実は、その言葉の中にあるのです。
 それが「やる気」。

 みずからやる気を出して、言わずとも勝手に育ち、勝手にリーダーになり貢献していく。
 究極の人材といえます。
 しかし「やる気ならわかっている。それを出させようとしても出さないから苦労しているのだ」と思われるかもしれません。
 もし「やる気を出させよう」としていたとしたら、少しお待ちください。
 ここが大事なポイントです。

やる気は「出す」もの。でも一体どうすれば…?

 やる気は、誰かが外から「出させる」ものではありません。
 本人が「出す」もの。
 本人以外の外から「出させる」のではなく、本人の内から「出す」にはどうすればいいのか。言い換えれば会社が育成してあげるではなく、社員みずから自分自身を育成したくなるにはどうすればいいかと考え方を変えたとき、社員は変わっていきます。

 本人がやる気をみずから出し育成したくなるための育成法。
 それが「メンタリング」です。

 メンタリングに接した人材は、外から与えられるニンジンがなくともみずから成長していきみずから会社や社会に貢献していくようになります。
 メンタリングに接した人材は、短期的な目標と長期的なビジョンを一致させて、目の前の困難にも動じることなく、知恵とアイデアと行動でみずから道を切り開いていきます。
 メンタリングに接した人材は、他者に貢献し、社会に貢献することによろこびを感じ、いまいる会社を発展させること、他の社員にも貢献すること、それを通して社会全体に貢献することを誇りに感じてきます。

 なぜか。
 それはメンタリングの目的は、徹底的に、「本人自身のやる気」だからです。

 それはかならずしもかけ声やシュプレヒコールによる一瞬のアドレナリンの放出ではありません。本人自身のなかからふつふつと静かにわき上がり、一生続く成長への欲求なのです。

 やる気とは一生続く成長への欲求であるため、メンタリングでは、そもそもひとが育つということはどういうことか? という原点につねに立ち返ります。

 会社であってもプライベートであっても、人は「ひと」。
 メンタリングは何よりもまずその事実に注目します。
 ひととしてみるならば、必ずしも会社が正しく、上司が正しいというわけではありません。
 そもそも正しいという姿がないところがひととひとが生きることであるといえますし、だからこそ、ひとはひとりひとりそれぞれの「やる気の源泉」があると言えます。

 耳をふさぎたくなる事実ではありますが、もし行う人材育成手法が「会社都合」であるととらえられてしまうと、ひとはやる気をなくします。本気になることはできません。
 会社都合にとらえられた人材育成手法は、会社内での生存のためにその範囲で作業をこなす人材にはなりますが、それ以上にはなりません。

 この事実をまっすぐに着目することからメンタリングははじまります。

 会社都合ではなく、そのひとが社会に生きる人として成長することをサポートする。
 その考え方の転換が、ひとを会社にとっても未来を担い引っ張ってくれるリーダーへと成長させていきます。なぜならひとは本気で自分を支援してくれるところに貢献したくなるからです。

 ひとの本質をまっすぐに見つめ、「やりたくなる」、「成長したくなる」源泉にアクセスする。メンタリングは、「会社人」ではなく「ひと」に着目する在り方といえるでしょう。

先の見えない時代こそ乗り越えられる人材像と育成方針

 現代は先の見えない時代です。何が必要で何を目指すのかを自分たちで見つけ選んでいかなければなりません。社会状況や制度はこれからも常に変わり続けることが大前提となる時代です。
 大企業も、中小企業も変わりなくどの会社も悩んでいます。

 どんな困難があってもチャンスに変え真に未来を導いていくリーダーの育成が急務です。それには本人のやる気にアクセスすることが必要です。
 外部環境の変化は100%は予想することはできませんし、コントロールもできません。しかし外部環境がどう変化しても、それを乗り越える会社に会社自身がなることは可能ですし、それを導く「リーダー育成=ひと育成」が、もっとも確実でかつ簡単な道です。

 なぜならば「一生成長し続ける」という「やる気」を常に持っているひとは、外部環境の困難こそ楽しみます。それは自分やまわりのひとを成長させ、よろこびあえるチャンスだと分かっているからです。

 いまこそみずから育つための育成の在り方に転換するときです。
 メンタリングがいまこそ求められています。

 メンタリングの目指す人材像は明確です。
 ひとことでいえば自らやる気をだす人材の輩出。
 「自立創造型相互支援人材」の輩出です。

 メンタリングをおこなうひとのことを「メンター」と呼びます。
 メンターとはギリシャ神話に出てくる老賢人「メントール」に由来すると言われており、メントールは親友である王の息子の後見を頼まれ、よくその息子の人格的成長を促したと言われています。

 「メンタリング」という言葉を、もしかして「メンター制度」とか「新人研修」のような形で聞いたことがあるかもしれません。つまり、先輩が後輩の面倒をみながらキャリア構築支援をするものだろう、というように。
 その場合、先輩を「メンター」とよび後輩を「メンティー」と呼ぶこともあります。

 たしかにそれはメンタリングの一側面です。
 ですが、メンタリングの真に目指すところは「自立創造型相互支援人材」の輩出であり、その真価が「やる気」にあると言えます。

 真のメンターとは「ひとをやる気にさせることができる人」であり、どんな困難でも乗り越え成長していける「勇気」を与えることができる人です。
 年齢は関係ありませんし、役職にも職業にも関係ありません。
 上司がメンターになることもあれば、経営者が社員をメンターとすることもあります。

「ひとがひととしてもっとも力を発揮するとはどういうことか。」

 これがメンタリングのテーマだからです。

 メンタリングによる育成とは
「ひとりひとりが無限の可能性を発揮し、能力が引き出され、最大限の生産性を目指す」
ものです。
 そんな人材が勢ぞろいした会社が現代では求められています。

 そのキーワードは「やる気」。
 一生続く成長への欲求であり、ひとがひととしてもっとも力を発揮することを目指すものです。
 それは外から成長を押し付けられるものではなく、そのひと自身の内側から沸き起こるものです。
 そのためにメンタリングで行う方針は明確です。
 それはひとがみずから「やりたくなる」「成長したくなる」ようにきっかけを与え続けること。目の前の人は、無限の可能性をもって成長し続けるひとであると信じ、みずから成長したくなるきっかけを与え続けることです。

「次世代リーダーになりたくなる」を次々産みだす企業になるには

 ではそのきっかけの最たるものは何か。
 それも「ひと」なのです。
 ひとはひとを見て育ちます。

 経営者や役職者ならば振り返ると思い当たると思いますが、かならず「こういうひとになりたい」「このひとに影響をうけた」「このひとのおかげで今がある」という自分が成長したきっかけになったひとがいるはずです。現代のひとかもしれませんし、歴史上の人物かもしれません。(余談ですが、経営者に歴史や伝記好きが多いのは、いつもきっかけを求めているからだといえます。)

 メンタリングではなによりも、ひとはひとを見ることで成長していくことに着目します。
 「ひとを変えるもっともいい方法は、自分を変えていくこと」であり、つねに現在のリーダーそのものが、目の前の困難を楽しみ、チャンスに変え、成長していくことを見せることが次世代リーダーの「やる気のきっかけ」になります。

 「こうなりたい」「リーダーは楽しそうだ」「こういう姿をめざしたい」。
 現リーダーの姿を見て、次世代のリーダー候補がそう思ってくれたら、“成功”です。

 きっかけを与え続けるとは、「やりたくなること」であり「チャレンジしてみたくなる」こと。やりたくなるような姿を見せることであり、やっている姿を信頼して応援することです。このひとがいるからわたしは思い切ってチャレンジできると思ってもらえるようにし続けることです。
 これを会社全体でおこなうことが、本来のメンター制度なのです。

 上の立場のひとが下の立場に教えるという一方的な関係ではありません。
 メンタリングではきっかけを与え続けることに終始しますので、メンターの在り方をみてメンティーが育つと同時に、メンティーの成長を見てメンターがさらに成長するという相互作用がかならずあります。

 そのためメンタリングでは相互に支援することで成長しあうという相互支援の精神が生まれます。みずからのやる気で「自立創造」しながら、全員で支え成長し合える「相互支援型」人材が育っていきます。

 本人の内側にあるやる気の源泉と「会社のビジョンや理念」が一致したとき、全員がリーダーになりたくなり、どんな困難もチャンスにかえ発展し続けられる「自立創造型相互支援企業」が生まれてきます。

 大変な時代です。
 大きく変わる時代です。
 そんな時代だからこそ、「自立創造型相互支援人材」の育成を目指しメンタリングが求められています。
 「やる気は外から出させるのではない、内から出すものであり、外からは『やりたくなる』きっかけを与え続けることである。」
 メンタリングの第一歩です。