持続的発展のできる総合的に粘り強いしなやかな組織づくり

長い時間をかけて培ってきた良き社風や経営理念、取組みは、時代を超えて受け継がれていくべきものです。しかしそれは、旧態依然の状態を押し通せば良いということではなく、あくまでも本質的な良さを残しつつ新たな経営環境に適応していく、という意味です。いわゆる大企業病は、企業規模にかかわらず息の長い上場大手企業から中堅中小企業まで幅広く見られます。

伝統を重んじてさえいれば、企業は安泰なのか?

 長い時間をかけて培ってきた良き社風や経営理念、取組みは、時代を超えて受け継がれていくべきものです。
 しかしそれは、旧態依然の状態を押し通せば良いということではなく、あくまでも本質的な良さを残しつつ新たな経営環境に適応していく、という意味です。
 いわゆる大企業病は、企業規模にかかわらず息の長い上場大手企業から中堅中小企業まで幅広く見られます。
 筆者が見てきた中堅企業の中に「常に挑戦する」という社是を掲げていた企業がありました。
 しかしその実態は、これまで何とかなってきた経営や組織運営のあり方に慢心し、新たな変革やリスクを拒む、社是とは真逆の姿勢がありました。
 リスクマネジメントに関して筆者がよく指導しているのは、「リスクマネジメントはリスクをゼロにするためにあるのではなく、企業や組織を経営・運営している以上は必ず直面するリスクに備え、いかに賢くリスクを選択して健全に経営し続ける仕組みを整えるか」ということです。

経営環境のリスク要因は生き物のように常に多様化し続けている

 そして、そのリスクは生き物のように多様化し、その重要度も変化し続けています。
 例えば、6年前にどれだけの企業が実効性を重視した地震対策や事業継続計画(BCP)を整備していたでしょうか。
 筆者は阪神淡路大震災を経験し、さらに飛行機のパイロットとして飛行中に4度のエンジン停止を経験、その危機を切り抜けてきました。そうした経験から、実効性を重視した防災・事業継続・危機管理の重要性を説いてきましたが、東日本大震災以前に真剣に地震や津波などへの防災対策を講じていた企業は、かなり少なかったように感じられます。
 地震や津波などの自然災害だけでなく、かつては海外でしか起こらないだろうと思われてきたサイバー攻撃など、事業を脅かすリスクは加速度的に多様化しています。
 そうした中、企業においても経営面だけでなく組織運営や各分野に長けた人材の確保が急務となっているのです。
 企業の経営者や役職員の方々が「これまでうちの会社は何ともなかったから、これからも絶対大丈夫だ」と話すのをよく耳にしますが、居心地の良い状態を好むあまり、変化を拒み多様化がうまく進まないことは、環境変化への適応ができずジリ貧の経営を余儀なくされるリスクを抱えていることと同義であることを認識しなくてはいけません。

あえてリスクを選択することで企業経営の活路が拓かれる

 日本企業に求められているのは、市場だけでなく国家や国際社会のニーズに応え、市場や業界を多様化し活性化していくことです。
 消費者に提供する商品はもちろんのこと、企業そのものの多様化が求められており、補助金や助成金などが支給されるテレワークをはじめ、障がい者の差別解消関連法に即した社内制度の整備や、これまでよりはるかに手厚い育休産休の「パパママ・プラス」などがその一例です。こうした施策を採用活動に展開することで、優秀な人材が自社で長く、成長しながら働き続け、貢献してもらえるようにする動きが見られるようになってきました。
 また、サービス残業や過労死が大きく報道されていることからもわかるように、目先の財務諸表の数字ばかりに注目するのではなく、企業として健全さを保ちながら持続的に発展を進めることが、成長戦略として求められているのだと筆者は考えています。
 変化には企業としての体力が必要ですし、リスクも伴います。しかし、時とともに変化するリスクに、企業は適応していかなければなりません。
 それは、災害に強い国を目指す国土強靭化計画になぞらえて言えば、危機に強く人にやさしい経営を目指す企業強靭化戦略を、各企業がダイバーシティ経営の一環として取り組むことになるのではないでしょうか。

当たり前と思っていることを「正しく疑う」眼をもつ

 ダイバーシティ経営で旧弊を改め、新たな取組みを行う上で重要なポイントは、固定観念や偏見にとらわれず、物事を「正しく疑う」ことです。これにより本質的な点を見つめ直すことができます。
 何か失敗したり、ハラスメントで問題が起こったりすると、どうしても猜疑心を持って物事を見てしまいがちです。
 確かに、同じ物事を「疑う」という2文字では、猜疑心も疑い方のひとつですが、「疑い方にも流儀がある」のです。ここで筆者が特に重要性を説いているのが懐疑心をベースにした対応です。
 猜疑心でのマネジメントでは、「私は正しい。相手や私以外のことが間違っているのではないか」と考えてしまい、固定観念はさらに強くなってしまいます。
 筆者の指導先で、上司の部下に対する厳しい接し方がパワハラ問題に発展したケースがありました。
 当の上司は自分こそが正しいと考え、部下に対して自分の信念に沿って「教育(エデュケーション)」しているつもりでした。しかし実際には、盲信的に従う部下を金型にはめるように「教化(インドクトリネーション:刷り込み・洗脳)」してしまい、その過剰な圧力は部下の個性を埋没させていました。
この一件に限らず、猜疑心は思い込みや偏見を増長させることも少なくありませんので、ダイバーシティ経営を進めて成熟した健全な企業の成長につなげていくには、「懐疑心」が欠かせません。
 懐疑心による物事の見つめ方は、「自分も相手もこのあり方・やり方で妥当なのかということを様々な角度から検証し続ける物事の疑い方」です。
 その観点には指導側の自らの考えや意見はそもそも妥当なのかという自省が含まれます。また、色々な角度から検証し続けるという点では、年齢や性別、境遇のほかに、社内外の視点、さらには国際常識の観点など、あらゆる面で多様化し適応していく姿勢が存在します。
 倫理学の世界で懐疑は手法である、と言われることもあるようですが、ダイバーシティ経営を進め、レジリエンスを高めた総合的に粘り強い持続的発展のできるしなやかな経営に向かっていく上で、懐疑心をもって社是・経営理念から各現場の業務実態や仕事の取り組み方などを、今一度、改めて見つめ直して多様化していくことが求められているのです。